ムラブリについて |

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■1.「ムラブリ」って何?
自称、現在タイでの正式名称はMlabri。かつてはPhitongluang(黄色い葉のお化け)と
よばれていました。「ムラ」は人の意味。「ブリ」は森の意味。つまり森に住む人とい
う意味です。とりあえず彼らにあって見ませんか。
■2.何処にいるの?
タイとラオスにいます。タイは、現在確認されているのは、北タイのプレー県とナーン
県です。プレー県はローンクワーン郡フアイホム村(ブンジューン村)にほとんど集ま
っています。ナーン県はヴイエンサー郡にいます。その他の国にもいるという情報があ
りますが未確認です。
■3.何人いるの?
フアイホム村(ブンジューン村)に約150人、ナーン県に約100人いますが、移動性なの
で人口を確定するのは困難です。ラオスにも20名あまりが確認されています。
■4.何語を話しているの?
ムラブリ語です。標準タイ語はとても上手、北タイ語、モン(メオ)語も話せます。昔
から必要に応じて周囲の民族の言語を習得してきたので、ムラブリ語には他民族の言語
の影響が大きいと見られていますが、本格的な調査はほとんど行われていません。
■5.歴史や文化は?
30年ぐらい前、北タイの山岳地帯が開発されるまでは、移動性、採集狩猟生活を送って
いました。大きな武器を持たないので、小動物や蜂の巣、山芋などが主な食料でした。
山の恵みが乏しくなって生きていくのが困難になり、他民族に頼って生きていくように
なりました。彼らは栽培や牧畜を禁ずる信仰をもっているため、専ら他民族の畑仕事を
請け負って生計を立てています。数や月日の概念がなかったので、他民族にさんざん搾
取されてきました。貨幣経済に組み込まれたのは最近のことです。国籍もなかったので
移動の自由がなく、その点でも他民族に頼らざるを得ませんでした。2000年に晴れてタ
イ国民となり生活は大きく変化しています。
宗教や文化といえるものがほとんどありません。未調査だというべきかもしれませんが。
■6.これまでの記録
ムラブリ族は移動性で、他民族を避けて森の奥深くに暮らしていたので、存在は知られ
ていながら殆ど調査することができませんでした。最も古く有名な記録がBernatzyk,
Hugo Adolf (1938)"DIE GEISTER GELBEN BLAETTER"です。東洋文庫から「黄色い葉の精
霊」として出ています。今から見ると正確でない事もありますがとても面白いです。そ
の後、何回か調査隊が入りましたが、北タイ語ができないと調査できないという困難さ
があり、まとまった記録がありませんでした。Rischel, Jorgen " Minor Mlabri", 1995
がはじめてのムラブリ語のトータルな記述です。
■7.私の仕事
Rischelが調査したグループは20名あまりの小グループでその後消滅してしまったそう
です。現在タイにいるグループは異なる方言の話し手のようですが、これも300人あま
りという少人数ですから「消滅の危機に瀕した言語」です。Rischelはこの言語の簡単
な語彙集を作りましたがその後調査をしていません。私の仕事はこのグループがタイ
語に同化してしまう前にできるだけ記録して、彼らの財産として残すことです。
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