◆◆フィールドワーク*中国編◇
金丸良子


ミャオ族

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貴州省といえば中国一の名酒・マオタイを想い浮べる人が多い。中国通には、長征のハイライト・遵義会議を連想する向きもいる。また、「少数民族」イコール「雲南」「チベット」「モンゴル」という思考回路も一般的である。1983年から、おもに貴州省のミャオ族を対象にフィールド調査を年に2〜3回も繰り返している私にとっては、貴州省とは、中国第4番目の少数民族・ミャオ族(人口約740万人弱)の主要居住区である。

では、ミャオ族とは一体どのような民族なのであろうか。中国文学を専攻している学生なら、1930年代を代表する作家・沈従文が湖南省鳳凰県出身でミャオ族の血をひいていることをご存知だろうか。名作『辺城』『蕭蕭』が漢民族とは異なる価値観をもつ無文字社会の「歌掛け文化」を背景として成立していることに眼をむけて欲しい。

また、古代文学の世界では、孔子が編纂したと伝えられる『詩経』が素朴な北方の気風を伝えるのに対して、豪華絢爛たる南方文学の傑作『楚辞』に秘められた破天荒なロマンチシズムに注目して欲しい。地元ミャオ族の研究家の間では、「屈原イコールミャオ族」が仮説として提唱されている。

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『楚辞』の「天問」「招魂」などの章の内容が現在に伝承される ミャオ族の巫師(シャーマン)の念詞(となえごと)と多くの 一致点が見出せるというのが、その根拠である。 事実、漢籍史料でも、『後漢書』南蛮西南夷列伝に記載されている 「長沙武陵蛮」が現在のミャオ族ヤオ族族の祖にあたる集団だろう と想定されている。

ミャオ族には、ある日洪水が天にせまり、たった一組の兄妹だけが ヒョウタンに隠れて助かり、後にその兄妹同士が結ばれ、子孫が 繁栄したという「同胞配偶型」の洪水神話が語りつがれている。 また、楓香樹から蝴蝶媽媽(蝶々の母)が生まれ、半神半人の烏博 (ウーボ)(一説によると水の泡)と恋愛し、結婚して12個の卵 を生んだ、そのうち黄卵から人類の始祖が、白卵から雷公、長卵か ら龍、まだら卵から虎が生まれたと伝える人類起源にちなんだ 「卵生神話」もある。孵(かえ)らなかった卵の中に 「神鬼(シェングイ)」が含まれていたという。

ミャオ族は前述したように長沙の「武陵蛮」を起源としているが、 漢民族の長江以南への進出に伴い、現在では、貴州省を中心とし た雲貴高原東部および西部、隣接するラオス(16万人)・ベトナム(約56万人)などインドシナ半島北部の山岳地帯にまで 国境を越えて広範囲にわたって拡散しているという大きな特徴が ある。これは、おもに明代になって本格化した漢民族の屯田を設けての 入殖や、太平天国の乱に呼応したミャオ族の人々の度重なる反乱の 鎮圧などで、逃散して行った結果であると考えられる。

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『皇清職貢図』『黔苗(けんびょう)図説』などの漢籍史料では、おもに女性が着用している民族衣装の色彩やスカートの長さにより、「紅苗」「白苗」「青苗」「黒苗」「花苗(刺綉が多いという意味)」「短裙苗」「長裙苗」「超短裙苗」といった分類が一般的であった。

しかし、現在では湖西方言(自称コ・ション)・黔東(けんとう)方言(ムー)・川黔(せんけんてん)方言(モン)といったようにおもに言語方言をメルクマールにした分類が実施されている。


また、この地域は世界最大規模のカルスト地帯であることから「石山」「半石山」「土山」といった土壌の悪な痩せた土地が多い。「石山」では、石ころだらけの痩せた山畑に、トウモロコシ・キャッサバなどを主食とし、「土山」には山腹から山裾にかけての梯田(ティーテイエン)(棚田)を切り開いての、水稲耕作とアワ・ヒエ・イモを中心とした雑穀にたよることが多い。居住する海抜高度の違いや、水田・畑・狩猟といった生業形態の相異に着目して、「平地苗」「高坡苗」といった分類を行なうこともある。
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度重なるフィールド調査で、ミャオ族を含めた該当地域の人々の日常生活をトータルに知る最も手早い方法は、通常5日に1度の割合で開催される定期市をのぞくことだと悟るようになる。

従江県下江では、旧暦3と8のつく日にがたつ。都柳江沿いの鎮では、榕江県の県城側と従江県の県城側の道路に東西に出店が並び、町から衣服・日用雑貨を中心に持ち込む漢族の行商人、地元の野菜・果物・川魚などを商うトン族(タイ系の民族)、遠くからオコワの握り飯持参のミャオ族がニワトリ・タキギなどを持ち込み、人々の暮らしが手に取るようにわかる。鎌先を商う鍛冶屋・藍染め・理髪などの職人と並んで、新種の作物のタネや飼料なども売られ、市が新しい農業知識の情報交換の場として機能していることを知る。

1983年から貴州省のミャオ族調査を繰り返してきたが、当初は、凱里の爬坡節(バーボージイエ)(歌掛け祭り)、台江県施洞の龍船節(ロンチュワンジイエ)(龍船競渡)を中心とした、いわゆるハレのお祭り調査が主体であった。これらの成果をもとにして『西南中国の少数民族貴州省苗族民俗誌』(古今書院、1985年)を刊行した。

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すると、地元・貴州省の研究者から長江上流の清水江沿いのミャオ族ばかりでなく、雷公山を越えた西江上流・都柳江沿いミャオ族にも眼を配るべきだという貴重なアドバイスを受けた。

事実、1947年に調査したdeBeauclair女史は、従江・榕江付近のミャオ族を未だ漢民族化が進んでいない「生苗」と称していた。つまり、都柳江沿いミャオ族のことである。50年代・60年代初めに実施された中国側の民族調査(公刊は80年代半ば以降)も重点地区は都柳江沿いミャオ族である。

都柳江は日本でいえば四国の四万十川のような清流で、かつてはカワウソ、現在は鵜飼いを使った川漁が散見する河川である。

中国の民間で伝えられる「死在柳州」の広西壮族自治区の柳州と、貴州省三都水族自治県を結ぶ川が都柳江ということになる。つまり、柳州は木材の集散地として名高く、柳州産の棺(ひつぎ)は、この都柳江沿いのコウヨウサンであることになる。

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最近のミャオ族調査地(一覧)

「都柳江」沿いのミャオ族調査地一覧表

1・中国貴州省黔東南苗族族自治州従江県加勉郷党翁村1994年8月
2・中国貴州省黔東南苗族族自治州従江県加勉郷別鳩村1995年3月
3・中国貴州省黔東南苗族族自治州従江県谷坪郷山崗村1995年8月
4・中国貴州省黔東南苗族族自治州黎平県口江郷揀東村1995年12月
5・中国貴州省黔東南苗族族自治州黎平県平寨郷紀徳村1996年8月
6・中国貴州省黔東南苗族族自治州従江県往洞郷徳秋村1996年12月
7・中国貴州省黔東南苗族族自治州丹寨県雅灰郷送隴村1997年8月
8・中国貴州省黔東南苗族族自治州従江県加勉郷別鳩村(鼓社節)1997年11月


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