出典: 『麗澤大学紀要』81: 225-228. 2005年12月発行
2005年8月15日から21日にかけて,第10回国際フィン・ウゴル学会議 Congressus Decimus Internationalis Fenno-Ugristarum (以後 FU10 と記する) がマリ・エル共和国の首都ヨシュカル・オラにあるマリ国立大学で開催された。筆者は廣池学事振興基金による学術研究助成を受け,5年に一度開催されるフィン・ウゴル学最大の研究大会に参加することができた。
マリ・エル共和国 (Республика Марий Эл) はウラル山脈の西側,ヴォルガ川中流に位置し,ロシア連邦に属している。フィン・ウゴル語派のボルガ・フィン諸語に属するマリ語 (марий йылме, ロシア語 марийский язык) はマリ・エル共和国を中心に話されており,マリ人(2002年に実施された国勢調査では60万人強)のうちの80%程度がマリ語を母語としていると言われ,文語も定着している。フィン・ウゴル語派の少数言語のなかでは比較的よく保存されているマリ語の研究の中心地ヨシュカル・オラでのFU10の開催は,ハンガリー,フィンランド,エストニアといったヨーロッパ圏以外での開催としては,第6回 (1985) のコミ共和国(ロシア)スィクティフカール以来2度目のことである。
ロシア連邦外からの参加者の大会参加費の支払いが正常におこなわれないなど,FU10の大会運営は混乱を極めたが,組織委員会の最終的な発表によれば,16カ国500人が集う大きな学術イベントとなった。マリ・エル共和国大統領 Л. И. Маркелов が開会式で演説をおこない,また大会期間中にレセプションを主催するなど,共和国が受け入れた初めての大規模な国際学会として,国を挙げての準備が行われていることが随所で感じられる大会でもあった。
開会式後,マリ・エル共和国を代表する作家である М. Шкетан の名を冠したシュケタン劇場で Eötvös Loránd 大学(ハンガリー)の DOMOKOS Péter 教授による最初の基調講演「フィン・ウゴル国際学会の歴史と役割」がおこなわれ,まず第10回の節目の大会を記念して,これまでの国際フィン・ウゴル学会の成果と展望が示された。言語学関連の基調講演は大会中4回行われ,Eötvös Loránd 大学の BERECZKI Gábor 教授がヴォルガ・カマ地域の言語の関係について,Turku 大学(フィンランド)の Sirkka SAARINEN 教授がヴォルガ諸語の名詞カテゴリーと後置詞のシステムについて,Tartu 大学(エストニア)の Tõnu SEILENTHAL 教授がロシアのフィン・ウゴル研究に果たしたエストニアの言語学者 Paul ARISTE の役割について,それぞれ講演をおこなったほか,マリ国立大学の4名の教授が,マリにおけるフィン・ウゴル研究の発展状況について合同で報告をおこなった(報告者の一人,マリ語研究の中心的な役割を果たしているマリ国立大学マリ語学科の Иван Галкин 教授に対し,氏の75歳の誕生日を記念してその功績を称えるセミナーを開催する動議が閉会式でおこり,承認された)。
研究発表は,(A) 言語学,(B) 民俗学・民族学,(C) 文学,(D) 考古学・人類学・民族史の4つのセッションに分かれて開催され,およそ300の発表がおこなわれた。参加費の支払いが正常に行われなかったことに起因すると思われるが,登録しているが実際には参加していない発表者を会組織委員会が把握できないまま研究発表が進められた結果,プログラムに記載された発表が実際にあるかどうかが当日その場にならないと分からない,という事態に至ったことは非常に残念であった。
筆者は言語学セッションの「ウラル学の諸問題」部会にて,"A corpus-based approach to Finnish causatives" と題する研究発表をおこない,フィンランド語学のなかで比較的研究が遅れている不定詞を用いる分析的構文形態をとる使役構文について,大規模な電子テキストコーパスのパラメータに基づいた分析をおこなうことで,形態論的に派生された使役動詞による形態論的使役構文との用法の違いを含めた包括的な構文記述が可能になることを示した。
FU10には,筆者を含め6人の日本人が参加し,そのうち4人が発表をおこなった。大会期間中の8月19日に実施されたエクスカーションでは,マリ・エル共和国の隣国タタルスタン共和国の首都カザンを訪問した。日本人の参加者と共にヴォルガ川の悠久の流れや,建都1000年祭の開催を間近に控え都市整備に忙しいカザンの祝祭的な雰囲気を味わうことができたことは大変幸運だった。
なお,FU10の大会委員長でもあり,マリ国立大学のフィン・ウゴル学科主任を務めていらっしゃった Юрий Андуганов 教授が,大会開催を目前にした2005年7月6日に自動車事故で急逝された。FU10開催中には故人を偲ぶ会が催され,多くの研究者が集い,志半ばでの死を悼んだ。筆者は,Андуганов 氏が東京大学の招きで1997年に日本に招聘された折や,前回2000年にTartu大学で開催されたフィン・ウゴル学会議で個人的にお目にかかったことがあり,マリ語はもちろん,フィンランド語,エストニア語,ロシア語,ドイツ語に堪能な先生の博識ぶりに目を見張ったことが懐かしく思い出される。ここに記して氏のご冥福をお祈りしたい。
次回の第11回国際フィン・ウゴル学会は,5年後の2010年,ハンガリーのブダペスト近郊にある Eötvös Loránd 大学 で開催される予定である。
謝辞: 第10回国際フィン・ウゴル学会議への参加,および本小稿執筆に当たっては,田中孝史氏 (マリ語学) に多大な協力を頂きました。