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雲南・チベット族 |
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中国領内のチベット族の総人口は、541万人余(2000年)である。そのうち90%はチベット語を日常語として使用している。しかし方言差はいちじるしく、「それぞれの谷ごとに言葉がある」と言われるほどである。なお歴史的には居住地域により、次のように分類される。
1)チベット北東部の遊牧地帯 アムド(青海) 2)チベット東部の遊牧地帯 カム(西康) 3)チベット中央部のラサ地方 ユィ(衛または前蔵) 4)チベット南部の穀倉地帯 ツァン(蔵または後蔵) 5)チベット西部の遊牧地帯 アリ(阿里) 現在のチベット自治区の範囲は、3、4、5と2のカムの西半分を行政区域としている。 チベット族の文字は、7世紀以前に簡単な古い文字をすでに持っていたと考えられているが、7世紀にソンツェン・ガンポが吐蕃(とばん)王国を築いた後、諸国の文字について考察を行なうため大臣をインドへ派遣し、帰国後サンスクリット文字(ダプタ文字)の字体をもとに古チベット文字の規範改革を進め、現在使われている横書きの表音チベット文字を制定した。チベット文字制定の初期は、仏教の経典の翻訳を主としていたが、のちにチベット文字を用いて、宗教・哲学・文学・芸術・天文・暦算・医薬・工芸など、各種の学問を含む大量の著作を記述するまでに発展した。 チベット族という名称は漢語の呼び名で、チベット族自身は、「パ」「ポエ」と自称している。ラサを中心とした衛蔵方言区では「衛巴(ウエイパ)」、シガツェを中心とした後蔵方言区では「蔵巴(ツァンパ)」、康方言区では「康巴(カンパ)」と自称している。安多方言区では「安多哇(アントウワ)」と自称している。「巴」や「哇」は、すべて「人」という意味である。※『資料1』 1990年の人口センサスによると、中国領内のチベット族は、チベット自治区に45.6%、四川省に23.7%、青海省に19.9%、甘粛省に8.0%、雲南省に2.4%が居住しているとされる。雲南省西北部では、迪慶チベット族自治州を中心にチベット族が11万人余(1990年)が居住している。 香格里拉(中甸)県の松賛林寺(スンツェリン・ゴンパ)は、1680年にダライ・ラマ5世が創建。「小ポタラ宮」の異名を誇る。尼西郷には、素焼きの茶灌の「黒陶」造り、「ツァンパホー」の木地製作などの副業がみられる。※『資料2』 |
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