ナシ族とトンパ文化
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ナシ族は中国雲南省北部から四川省西南部にかけて分布・居住する少数民族である。言語系統上では、ナシ族は漢・チベット語族の中でもイ族・リス族などと同様イ語系に所属している。人口は30.8万人強(2000年)で、海抜高度1500〜3000mの山間丘陵部や、現地で「子(バーズ)」と称されている山間盆地を主要な居住場所としている。生業の中心は、水稲やトウモロコシを栽培する農業である。『資料1』
伝承によれば、祖先は「古代羌族」ともいわれ、中国の西北部から四川を経て南下し、雲南の寧県永寧に至ったのち、金沙江を渡って麗江に定住し、一部はさらに北上して中甸(香格里拉)に至ったという。ナシ族は、イ族と並んでカム高原から南下して雲南に来住した烏蕃系の子孫であると考えられている。晋代以降の漢籍史料には、摩沙(もさ)夷、磨些(もそ)蕃などと記されている。宋王朝時代には主力がさらに南下し、麗江を本拠地とするようになった。明王朝以降、木徳土司(木天王と呼ばれた)が積極的に漢文化を取り入れたために、社会組織から冠婚葬祭に至るまで、漢民族の影響を大きく受けた。そのため、ナシ族の中には漢語を話せる者が多い。姓に関しても、支配層は「木(ムー)」、一般の人々は「和(ホー)」を名乗ることが多い。明代に築かれた麗江(大研鎮)は、街全体を用水路がめぐり、約3000もの木造民居が石畳の小道に沿って立ち並ぶ古城であり、1997年にはユネスコの世界遺産に登録された。『資料2』
ナシ族は、自称を「納(ナ)」「納西(ナシ)」「納汝(ナル)」「納恒(ナヘン)」で、「納」は「黒」、「西」「汝」「恒」は「人」、または「族」を意味する。
長江上流金沙江を境として、西部方言地区と東部方言に大別されるが、両方言地区では言葉が通じないとされる。固有文字はこのうち西部方言地区のみに見られる。
文字には、縦10センチ横30センチ程の横綴じの儀礼用経典に書かれている象形文字に属するトンパ(東巴)文字と、表音文字のクパ文字の2種類が存在する。
<<トンパ文字

宗教は、ボン教の要素を持つ固有の民間宗教で、トンパ教と呼ばれ、「白水台」がその発祥の地といわれる。トンパは、トンパ教のシャーマンで、人々の依頼を受けて葬式や厄払い、祖先祭祀などの儀礼を主催し、病を治し、旅立ちや冠婚葬祭時には吉日を占う。伝統文化の継承者でもあるトンパは、1400字はあるというトンパ文字を習得して経書を書き、儀礼用の木牌を描き、経文を暗唱して踊りをマスターし、儀式の順序や規程に習熟しなければならず、10数年の修行が必要である。 『資料3』
東部方言区の永寧では、中華人民共和国成立直前まで土司制度がつづき、現在でも母系的家族制度を基盤に、夫が妻のもとに夜だけ通う「妻問い婚」が行なわれ、各家には夫を迎えるための部屋が設けられている。なお、生まれた子供は母方に帰属し、母親の兄弟が父親の役割を果たす。西部方言区が、トンパ教・トンパ文化であるのに対し、よりチベット仏教(ラマ教)の影響が強い「ダバ教・ダバ文化」と称し、ナシ族ではなく「モソ人」と他称される。『資料4』



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