ヤオ族の中国国内の総人口は約264万人(2000年)であるが、その言語系統と自称から、ミィエン(ヤオ語系)、プヌ(ミャオ語系)、ラガ(トン語系)の大きく3つの支系に分かれる。インドシナ半島北部のベトナムでは、ダオ族(約48万人)と他称され、タイではユーミィエンと自称されることが多い。中国国内では、雲貴高原東部(主として広西チワン族自治区北東部)の山地に住み、伝統的に狩猟や焼畑耕作などを行ないながら、山中を移動しつづけてきた「過山ヤオ」の集団の代表が「ミィエン」と自称する「盤ヤオ」(パンヤオ・他称)である。この集団は、ミャオ族の祖先と同じ「武陵蛮」の末裔であるとされるが、敵の首を取った手柄の褒美に、漢族の姫を妻とした「槃瓠」(ばんこ)という犬が祖先であるという神話をもち、山岳地帯を専住地域として認められ、税や賦役を納める義務を免除されたという。盤ヤオ族は、この槃瓠犬祖神話を利用することで漢族の支配者階級とつながりを持つ集団であることを強調し、漢字で書かれた免許状的な性格を兼ねた「評皇券牒」(ひょうこうけんちょう)「過山榜」(かざんぼう)と呼ばれる文書を所有し、西南中国の山地での移動を繰り返し、自らの生活空間を拡大した集団で、ヤオ族の人口の約半分を占める。
収集資料は、タイ・チェンライ在住の日本人骨董商からの入手。カシノキを原料とした紙に風水の図柄を冒頭と末尾に付し、「盤王」を描く等、「評皇券牒」の簡略本の体裁をとっている。およそ150年程前の「太平天国の乱」の頃のものと思われる。 |