序論        速水

 

1.   「ユーラシア社会の人口・家族構造比較史研究」プロジェクトの発足

  まず、この「ユーラシア社会の人口・家族構造比較史研究」プロジェクト(以下、ユーラシア・プロジェクトEAPプロジェクトEAP Project、もしくは、EAPと略称する)の成立と意義――とくに国際比較研究――について、説明したい。

このプロジェクトの発足には、それ自身の前史がある。それは、昭和61(1986)年、筆者(速水)が当時勤務していた慶應義塾大学において、国際人口学研究連合(IUSSP)の国際歴史人口学委員会の主催によるワークショップ、“Urbanization and Population Dynamics in History”が開かれた(その成果は、同名の編著となって、1990年、Oxford University Pressより刊行されている―Ad Van der Woude et al eds.)。その際、スウェーデンより参加・報告されたのが、Tommy Bengtsson教授 (Lund University)である。教授は、会議の合間に私の研究室に来られ、進めている研究を説明する機会を得た。そして、日本の中心的研究資料である宗門改帳、ならびにその整理法を見て、これは住民台帳型の史料であるから、同じ性格のスウェーデンの史料と高い類似性を持ち、歴史人口学 (historical demography) 上の比較研究が可能であり、将来是非共同研究を進めようという意見の一致を見た。

その後、私は、平成5(1993)年まで、もっぱら日本国内の歴史人口学研究に集中していたが、 中国においても、James Lee 教授によって、清朝期の人口調査資料(戸口冊)が遼寧省の文書館で発見されたこと、さらにベルギー、イタリアでも同様の史料があり、研究が進んでいることを知り、国際研究組織をつくり、比較研究を実施すべく、とりあえず上記の五つの社会を対象とし、かつ日本国内の研究を加え、プロジェクトを組織・発足させる計画を立てた。

日本、中国は儒教・仏教社会、イタリア、ベルギーはローマン・カトリック社会、スウェーデンはプロテスタント(ルター派)社会であり、異なる宗教的・文化的背景を有している。また、主に利用する史料については、日本は主に中央政府の厳格な反キリスト教政策の産物である「宗門改帳」、または「人別改帳」、イタリアは、カトリック勢力のプロテスタントに対する巻き返し運動の産物ともいうべき“status animarum”(訳せば「魂の記録」となる)、スウェーデンは、牧師が教区民の持つ聖書の読解能力を調査した“examination register”(訳せば「試験登録簿」)というように、キリスト教に対する、各社会それぞれの対応の結果作成されるようになった記録である点、まさにそれ自体、同時発生的に作成された歴史の産物である。

 中国の「戸口冊」は、18世紀中葉以降、20世紀初頭まで、清朝発生の地である今日の中国東北部遼寧省に特別の人口調査(ただし3年に1回)を行ったもので、直接の目的は、皇帝の信頼し得る軍事的動員可能量を知るべく実施された。ベルギーの場合は、他より遅く、19世紀の中葉に実施された国勢調査を土台として作成された住民台帳であるが、毎年情報が追加された点、通例の国勢調査資料(多くは集計資料)とは異なっている。

 このように、五つの社会は、固有だが、後述するように、性格を一にする史料を持つことが分かり、準備調査を行って、国際比較研究の可能性と意義の極めて高いことが判明し、かつそれぞれの社会を対象とする研究者との連絡もとれたのでプロジェクトを立ち上げることになった。

 このような大型プロジェクトの研究費助成には、文部省に科学研究費の創成的基礎研究(略称:新プログラム)があり、3〜5年間、高額の研究費を助成している。そのことを知り、平成5年に申請した。書類審査と、申請を審査する学術審議会のインターヴューを受けた結果、幸い採択となり、平成6年秋に半年間の準備費助成を経て、平成7(1995)年度より5年間、現在の日本では、おそらく最もめぐまれた研究費を得て研究を開始することが出来た。

 

2.EAP Projectで用いる史料

   このプロジェクトにはいくつかの特徴があるが、その一つは利用する史料が、戸籍簿型の人口調査史料だという点にある。しかも、それが、同一の町や村、教区で、長期(一応50年間以上を目安としている)に亘り連続して残存するものを選んでいる。もちろん国により、あるいは一つの国の中でも、史料の記載内容、書式には違いがある。また、年齢の数え方や、暦法も異なっている。文化的、地理的背景になればなおさら統一されていない。しかし、利用史料をこの形式のものに限ることによって、いくつか大きなメリットのあることも事実である。

   第一は、従来、ヨーロッパで成立した歴史人口学の主史料が、教区簿冊 (parish register) という、教区民の洗礼(出生とみなす)、結婚、埋葬(死亡とみなす)という教会の牧師の執行する行事の年代記であったのに対し、われわれの利用する史料は、そういった出来事(event だけでなく、いま存在する状態をも同時に知らせてくれるものである。教区簿冊からは分からなかった、町や村、教区の人口規模とその内容・構造、および家族とその内容と構造について知ることが出来る。1950年代後半、Louis Henryによって開発された家族復元(family reconstitution)は、歴史人口学を一つの研究分野として確立させる重要な礎石となったし、コンピュータの利用も現在と比べれば、はるかに貧弱であった当時、教区簿冊の記載を、一枚一枚スリップにとり、それをつなげて、夫婦を単位とする結婚、出産、死亡を追い、family reconstitution formFRF)を書き埋め、結婚、出産を主とする指標を得ることに成功した意味は非常に大きい。Henry 以後、フランスでは多数の教区簿冊が収集・利用され、また、イギリスでは、Cambridge Group Cambridge Group for the History of Population and Social Structure)が全国の教区簿冊の収集利用を行い、結果は、400余の教区の簿冊を用いた E. A. Wrigley and  Roger Schofield の研究(E. A. Wrigley & Roger Schofield  1981)、および、そのなかから26の教区を選んでより深い検討を加えたこの二人による続篇は(E.A. Wrigley et. al. 1997)、教区簿冊を史料とする研究の金字塔であり、これを抜く研究は当分出ないように思われる。

しかし、教区簿冊のみに依拠する研究は、population at risk が得られない状態での研究になる。人口規模はどの level でも分からないから、推計 (projection) によらざるを得ない。いわんや人口の年齢別構造は全く分からないので、年齢別死亡率 (age specific mortality)、年齢別出産率 (age specific fertility) が算出できず、人口学的に基礎となる生命表 (life table) や合計特殊出生率 (TFRtotal fertility rate) の測定は直接にはできない。さらにまた、移動に関する情報が欠けているので、人口移動に関する研究は全く出来ない。そして、最大の問題は、家族に関する情報も実際にはない、ということである。「家族」復元は、決して共生集団としての家族を復元したのではなく、子どもを産み得る夫婦の行動を復元したに過ぎない。実際に、一つの家族あるいは世帯が、どのような構成員からなっていたのかは、この家族復元から求めることが出来ないのである。

   これに対して、われわれの利用する史料は、今日でいう住民台帳型の史料であり、多くは村や町、教区ごとに作成されているので、教区簿冊のもっている史料上の欠点を補って余りあるものがある。いま、この史料が毎年作成され、利用可能だとしよう(研究で利用するには、こういった条件が満たされていなければならない)。史料上には、世帯ごとに、構成員の名前、年齢(まれには記載のない場合もあるが)、性別、戸主との続柄(ヨーロッパでは記載のない場合もある)が記されている。さらに、変動の理由:出生、死亡、結婚、移動等の理由や月日(ない場合も多い)、行き先等が書かれている。個人ばかりではなく、世帯の移動、世帯の持つ財産、たとえば耕地や家畜が記録されている場合も少なからずある。つまり、人口や世帯の静態と変動が、同一の史料の上に記録されている。教区簿冊と比較すると、史料に記録されている情報量がいかに多いかが分かるだろう。Population at risk も分かるし、年齢別の出生率や死亡率は簡単に求められる。われわれは、むしろ情報の洪水にさらされている、といってもいいだろう。従って、これをいかに整理し、比較可能な形にするかが重要な問題になる。

   第二に、以上のことから、この種の史料を利用すれば、夫婦のみならず、社会を構成する最小で最も基本となる単位の男女個人を抽出し、その行動を出生から死亡、あるいは史料への出現から消滅まで追跡し、その間に生じた 出来事(event を、それが生じた時点の内外の状況とともに知ることが可能となった。かくして、多変量解析やevent history analysis を、EAP国際比較研究の共通する統計学的手法(lingua franca)とすることが出来たのである。これによって国際比較の標準化が達成可能となった。それによって得られる利益は非常に大きく、漠然とした比較ではなく、数量的に確定した比較研究がなされている。

しかし、このような統計手法の導入は、一方で、よってたつ基本の人口統計の信頼性が高く、また、data fileの構築が確実になされていることが要求される。研究者本人が、統計学およびコンピュータ利用に熟達しているか、熟達している者との共同作業を必要とするのである。

また、外部的諸変数が得られることも決定的である。経済的変数では、食料価格が最も重要であるが、地理的に同一の経済圏に含まれる地点における食料価格のシリーズの獲得可能性が決定的である。この結果、歴史人口学(historical demography)は、人口史(population history)という歴史学の領域から、むしろ人口学という社会科学の一分野となったのである。

   第三に、この形の史料を用いることは、歴史人口学と家族史研究の境界をほとんどなくしてしまった。もちろんこの二つの学問領域は、それぞれ固有のものを持っている。しかし、共通の史料を利用し、共通の分析法を用いるならば、単位が個人か家族か、の差は存在するとしても、それは越えることの出来ない壁ではなくなる。もちろん、このような方法や史料を使わない歴史人口学――たとえば、マクロ統計資料を用いる――や、質的、叙述的史料に依拠する家族史は、十分 raison d’etre を持っている。われわれは、決して、EAP 国際比較班が行ってきた研究が、歴史人口学や家族史の唯一の方法だという積もりはない。

 

3.EAP Project 研究成果の発表

具体的な内容については、この実績報告書でその一端が明らかにされるであろう。国際比較においては、死亡、出生、結婚、移動の順に、テーマごとの比較を行い、年2〜3回の研究会を持った。いくつかの国際会議の場をかりてセッションを持ち、研究成果を発表してきた。最大のものは1998年8月, スペイン、マドリッドにおける第12回国際経済史協会大会(International Conference of Economic History)での報告で、Aセッション(最大のセッション)において報告が行われた。題名は“Population and the economy: from hunger to modern economic growth”であるが、多数の聴衆を集め、Aセッションの報告会はかくあるべしというように、絶賛を得た。組織、報告、討論者のほとんどは、EAPプロジェクトの構成員である。このときの報告論文集も近く刊行される。この他、SSHASocial Science History Association)、ESSHA (European Social Science History Association)PAA (Population Association of America)、等の大会においてセッションをもったが、2000年8月、ノルウエー、オスロにおいて開催される国際歴史学会(International Congress of Historical Sciences においても、“Family Structures, Demography and Population: A Comparison of Societies in Asia and Europe”のセッションが組まれ、事実上EAP Project の成果発表の場となる。

   これら大きな国際学会でのセッションは、大会で与えられている時間に制約があるので、準備会を開き、そこで十分時間をかけ、報告・討論し、結果を本会議で報告する、という形態を採っている。国際経済史協会大会については、準備会を平成9年1月、大阪において開催し、ディスカッサントとして、ノーベル経済学者の Robert Fogel 教授ほかを招き、活発な討議を行った。その討議を経て臨んだのが、上述のマドリッドにおける本会議である。また、2000年8月のオスロにおける国際歴史学会に対しては、2000年1月、ESF (European Science Foundation) との共催で、Liege, Belgium において、その準備会をもったが、ESF Senior Secretary (Dr. John Smith) から、これは国際共同研究の最高のモデルであるという評価を受けた。

研究成果は、日本語、英語のworking paper series, conference paper series, off-print series 等の形で印刷し、プロジェクトのメンバーおよび関係各位に配布している。その総数は、日本語版を含めて107点、のべ3121ページを越えている(本報告書の末尾に、その一覧を掲載した)。これらこそ、この実績報告書として提出すべきものであるが、あまりに膨大になるので、ここでは目録のみにとどめた。

また、本格的な国際比較の成果については、英文による出版を準備中である。日本語版については、高度に専門学術書であることを考慮し、CD-ROM 出版を探っている。ただ、予定より時間がかかっており、第1巻の英文最終稿がまだ出揃っていないのが現状である。やはり、最終稿の脱稿にあたっては、慎重を期し、概念、方法、用語法の統一、吟味が重要で、時間を要する編集作業が続いている。

日本国内においては、モノグラフ・シリーズ、論文集シリーズ、翻訳シリーズ、資料・目録シリーズ、地図シリーズとして刊行する。現下の出版事情から、専門性の高いこれらの出版を引き受ける出版社を見出すのは困難であったが、漸くその可能性が出てきて、近く第一号が誕生するであろう。

 

4.EAP  Project の達成

   個別的、具体的には、個々の報告で明らかにされるであろう。ここでは、総合的な立場から述べることにしよう。

   第一に、従来の教区簿冊を利用する歴史人口学に挑戦し、break through を行ったことである。従来の歴史人口学は、確かに結婚や出産について、貴重な成果をあげてきた。しかし、この研究は、Henryに始まり、Wrigley and Schofield で一つのサイクルが完結した、といえる。今後、同様な研究が、他の地域についてなされることはあっても、方法や、知ることの出来る内容について、新たな開拓は出来ないのではなかろうか。これに対して、EAP Project は、利用史料のもたらす豊富な情報を、統計学的にフルに利用することにより、新しい地平を開いた。十分な史料の吟味と厳格な形式によって作成されたデータ・ベースに加えられる多変量解析や event history analysisを通じて明らかにされた事実の解明は、他の方法ではなし得なかった成果を生んだ。最後の詰めは残っているが、EAP Project の第1巻が刊行されたとき、多分読者は、歴史人口学や家族史の新しいサイクルの始まりを感じ取るだろう。

第二に、国際比較が統計学的に厳密に行われるようになったことである。これには、文化的、宗教的背景を犠牲にしているのではないか、という疑問を持たれる場合もあろうが、ともかく史料に登場する個々の男女を、同一条件のもとで取り扱うことによって、人口学的諸指標の比較が行われ、逆に、その違いが、それぞれの社会の文化的特性を示すことになる。たとえば、食料価格の上昇に対し、人口のどの集団、どの年齢や性の死亡率が最も敏感に反応するか、ということが明らかになる。このことは、それぞれの社会の文化や価値観によって規定されるのであり、この研究による観察結果が、他の学問領域への刺激を与えることになる。

このように、既成の――教区簿冊に基礎をおいた――歴史人口学に対するわれわれの挑戦は、成功を収めつつあるといえよう。

第三に、歴史人口学研究と家族史研究の協同を挙げることが出来る。従来、この二つは、学問領域としてほとんど関係なく、個々に存在してきた。しかし、そもそも、このプロジェクトでは、人口と家族が、社会を支える二本の柱である、という基本的命題の上に研究計画を立ててきた。研究の方法も、上述のように、社会を構成する最小単位の個人のライフ・コースを基礎としている。夫婦、家族、世帯といった、より複雑な社会的存在も、せんじ詰めれば個人の集合であり、個人のライフ・コースを特定の形態で組み合わせることによって、歴史人口学の基礎作業は、いつでも家族史研究の基盤となる。

研究で利用する史料が共通の住民台帳型の登録簿で、方法が基盤においてつながっていることは、この二つの研究を協同して実施することが可能であり、むしろ望ましいことを物語っている。

 

5.残された課題

    しかし、残された課題は少なくない。

     第一に、対象とする地域が限定されていることである。日本、中国、イタリア、ベルギー、スウェーデンを対象としたが、これらの国々を覆い尽くすように史料が存在しているわけではない。日本では、東北日本の一部、中央日本の一部、西南日本のほんの一部というように、限られた村落(江戸時代、全国で8万あったといわれる町村の千分の一以下)の史料を利用し得るのみである。日本国内の地域的相異が大きかったと思われるので、一地域の分析事例で、日本の研究とすることは出来ない。同様なことは、日本以外の国にも当てはまる。中国は、東北部の遼寧省が対象となってきたが、広大な中国の他の地域、直隷地域、中央部、南部、内陸奥地の人口・家族は異なったパターンを有していた可能性が高い。

イタリアも、現在の研究は、北部とヴェニスに限られており、中央部、南部については未踏の世界である。ベルギーは、19世紀後半の国勢調査に基づく住民台帳を利用しているので、今後の展開が期待できるが、現時点では、研究はフランス語圏のリェージュ、ヴェルヴィエを中心とする地域に集中している。オランダ語を話すフランダースではどうだったのか、興味のあるところだが、判明していない。スウェーデンも、最南端のスカニア半島に研究が集中しており、中部や北部の研究は含まれていない。

さらに五つの社会全部が、農村部を対象としており、都市はヴェニスを除いて含まれていない。このように考えると、このプロジェクトは、決して五つ「国」を対象とするものではなく、「国」のなかのある地域を採り上げているのである。近代以前、地域性の強かったことを考慮するなら、このことは、まず念頭におくべき事項である。ただ、研究の過程で、日本、中国....といった国名が出てくるが、それは現時点では「国」の状況を示すものでは決してない。「国」を考慮するためには、対象とする「国」のなかの地域差が十分わかり、平均や分布が明瞭になるまで待たなければならない。このプロジェクトは、それへ向けて踏み出した第一歩である。

そして何よりも、この五つの社会で“Eurasia”を語ることが可能か、という問題にぶつからざるを得ない。事実、このプロジェクトでは、Eurasia 大陸の東端と西端が採り上げられていて、その中間にある広大な東南アジア、インド亜大陸、イスラム社会、スラヴ社会は入ってこないし、西欧のなかでも、イギリス、フランス、ドイツといった中核を構成する国々は埒外にある。これは、それらの社会、国々において、このプロジェクトの趣旨に沿った史料群が、今のところ発見されていないことによる。もちろん、局地的、あるいは瞬間的には存在するとしても、地域を長期にわたってカヴァーするようなものは存在が確認されていないのである。

そのなかで、19世紀には、バルカン半島、アラビア、アフリカの地中海沿岸地域まで版図とし、優秀な官僚群をかかえ、人口調査をおこなったことが明らかなオットマン・トルコは、ぜひ対象に含めたかったし、事実ある程度の調査は行ったが、史料の点で、他の五つの社会と比較研究が出来ず、また現地の研究者との連絡がうまく行かず、断念したという事情がある。将来、何らかの形で、これらの社会の研究が加わり、地理的にも真の意味での ユーラシア社会の研究が集大成されることを期待したい。 

第二に、家族史との関連である。われわれの利用する史料は、住民台帳型の登録簿なので、研究史料の共有は当然可能なことはすでに指摘した通りである。また、人口と家族は、社会を構成する二つの基礎条件であり、相互に深い関わりを持っている。このことから、歴史人口学と家族史は、共同して研究を進めることが容易だ、とも述べた。

しかし、実際には問題がいくつかあって予想通りには行かない。人口学には、形式人口学 (formal demography) の厳格な方法が確立されているし、統計学的手法の応用ははるかに容易である。歴史人口学は、基本的に統計学的性格の強い研究分野であり、macro であれ micro であれ、数量的分析に基礎をおいている。最初の統計学は人口統計から始まったほどである。これに対して、家族史には、 統計的に固有な方法はない。極端には、数量的史料なしでも結果を出すことが出来る。このことから、歴史人口学と家族史は、同じ史料として利用しながら、必ずしも共同作業を実行できる、とは限らない。

家族史の研究目的を、家族類型の摘出に限ってみた場合、HammelLaslett モデルを離れて作業を行い、研究成果を打ち立てることは、修正を加えるとしても、至難の業である。だからといって、そのモデルの持つ意味を軽視するわけではないが、逆に、EAP Project を拡大すれば、まさに Eurasia 的範囲での家族類型を確立することが出来るかもしれない。

このように、EAP Project は、成果を収め、break through を行い、国際的にも存在を認知される研究活動となった。しかし、このプロジェクトのリーダーの立場からいえば、もっと多くのことが、より早くできたのではないか、とも考える。それぞれの歴史・文化を背景として作成された住民台帳型の登録簿は、形式的には同じでも、内容的には単純に均質的なものとはいえない。記載の書式は一国内でも異なるし、年齢の数え方、暦法は、大きくいってキリスト教社会と、東アジアとでは異なっている。それらを乗り越えて比較可能な形にするには、相当の時間を要した。対象地域も、広げる必要がある。そういう意味では、われわれはいま、ようやく「始めの終わり」に来たところなのである。