はじめに
速水
融
研究期間5年を経たいま、当初の研究目的がどこまで達成されたのかを自ら問うとき、100パーセント達成しました、とはいえない。研究を進めるほどに、新しい問題、新しい方法、新しい史料の湧出や発見があり、本音をいえば、もう3年は研究費の助成を受けたいところである。しかし、決められた期間内に成果を挙げるのは、プロジェクトに課せられた当然の努めであり、「やむを得ず」現在までに得た知見をここに記すこととしたい。
といって、この5年間、現在の日本では、おそらく望み得る最高の研究費の助成を受け、実施してきた国際・国内研究の成果は、各自が述べるように、いままでの研究水準を突破し、break through を行ったことも事実である。これも、出発点において、目的・方法・史料について十分議論し、内外の参加者一同がそのことを踏まえて研究を行ったからであろう。大きな国際会議で、このプロジェクトの参加者による報告セッションが、高い評価を得てきたのも、われわれの研究が水準の高い、国際通用力を備えたものであったことを物語っている。
しかし、筆者は、そのことをもって直ちに、このプロジェクトは「成功」した、とするべきではないと考える。実施したり、報告した研究成果よりもっと水準の高い研究が可能だったとしたら、極論すれば、このプロジェクトに「失敗」の烙印を押すことさえ可能なのである。
最終的な判断は、ここ一二年の内に始まる研究成果の出版物(英語・日本語)に委ねざるを得ない。ここでは、この5年間、われわれは何をしてきたか、を自ら問う形で報告書を記すことにする。
文部省科学研究費補助金(創成的基礎研究)「ユーラシア社会の人口・家族構造比較史研究」(平成7年度〜平成11年度)による研究プロジェクトは、国の内外から50名以上の参加(研究組織参照)を得て実施された。5年間という助成期間は、現在望み得る最長の期間であることは十分承知しているが、
この「最終実績報告書」を書く現在、5年間は決して長くはなかったというのが実感である。あれもやれた、これもやれた、こうすればよかった、という思いが交錯する。しかし、一方では、それぞれの時点で、最善と思われる方法を選んで、ベストを尽くしたとも言える。
まず第一に、序論で述べるように、この研究は、研究内容、研究方法において国際的に非常に高い評価を受け、国際共同研究・国際比較研究のモデルとさえ云われている。研究の基本的方法を、序論以下で詳細に述べるように、基本史料を発掘し、マイクロフィルム等の媒体に撮影し、基礎ワークシート(BDS)を作成し、それをコンピュータ入力する方法をとった。ということは、観察の単位を個人個人のライフ・ヒストリーにまで下ろし、社会を構成する基層から、人々の行動分析を行い、その上で、人口学的・統計学的方法を駆使して人口や家族の歴史を再構成する方法を基本としたのである。このような方法による研究は、歴史人口学や家族史研究、引いては歴史の社会科学的研究にとって、全く新しいものであり、一つの break through を行った、と自負している。ただし、このような分析が可能なミクロ史料(ある行政単位で、長期間にわたり、大きな断絶なく連続して利用可能で、かつ記載内容が豊富な史料)は、全国に多くは残っていない。また、残されている史料をマイクロフィルム・カメラあるいはデジタル・カメラに撮影し、作業シート(BDS)に整理し、コンピュータ入力するまででも、相当の労力・時間を必要とする。それからさらに統計分析のためのデータベースを作成し、最終的には研究目的に沿ったフラットファイルを作るには、原データとのチェックを含め、多大の時間が必要なのである。
このプロジェクトにおいて、支出項目中「謝金」の占める割合の多いのも、このような理由による。結局、現時点で、データベースの完成は5カ村にとどまった。しかし、デジタライズされた史料(コンピュータ入力史料)は、23カ村に及び、そのほか、1年限りだが、何十カ村にもまたがる形の史料群の入力は、7地域に及んでいるので、研究の基礎となる作業は、かなり進んだといえる。
このプロジェクトの中心部分は、このような作業の上に築かれる人口や家族の分析にあるが、人口学の立場からこの研究を批判し、歴史史料という不完全資料の上に、人口学的・統計学的手法を適用することの可否を吟味するグループ(人口学班)、マクロ統計資料(江戸時代の地誌、明治期の統計書など)を利用して、ミクロ史料では描くことの出来ない地域人口統計、全国人口統計を作成するグループ(マクロ資料班)、コンピュータ入力・出力・プログラム作成を行うグループ(情報処理班)との分業と協業があった。それぞれのグループの活動状況は、各班の研究報告で明らかにされている。
また、この報告書には、歴史人口学と家族史の文献目録、収集史料目録を解題ともに別冊(CD−ROM)で添付した。この研究分野に関心を持たれる方のお役に立てれば、という考えからである。
さきに述べたように、このプロジェクトにおいては、研究分担者以外に、実に多くの方々の協力を得た。ある者は史料収集作業に、ある者は史料解読作業に、ある者はデータ入力作業に、ある者は研究シリーズ作成作業に、また文献目録・史料目録作成作業に、さらには経理事務作業に、と、分業体制のもとに、研究の基礎作業に従事した。建物が出来てしまえば、これらの基礎工事は外からは見えなくなる。しかし、しっかりした基礎工事あればこそ、その上に建造物を立てることが出来る。基礎工事を欠いた建造物は脆弱で、他からの力に対して極めて弱い。もし、この研究に、何らかの肯定的な意味があるとすれば、その功は、黙々と作業を続けて頂いたこれらの方々のお蔭である。もちろん、研究自体は、研究者の責任であって、いかなる批判も研究者自身が負うべきものである。
ただ、私の立場から、これらの方々に金銭的に十分報いることが出来なかったことを申し添えたい。科学研究費の取扱い規定により、金額や支払い期間に制約があり、本来ならば「専門的知識の供与」に対する謝金として支払わるべきものが、一律額の日割り計算で、制約のもとに「謝金」として支払われなければならなかった。もちろん、「謝金」から制約を取払ったら、混乱や、場合によっては不正すら生じ得るだろうが、現行規定のもとでは、いささか「角を矯めて牛を殺す」ことになりかねない。何らかの解決法はないものだろうか、というのが筆者の偽らざる実感である。
さらに、この研究プロジェクトの推進にあたっては、若い研究者志望の方々、大学院生の協力を得た。ある者は日本学術振興会の特別研究員として加わり、この制度から大きな利便を得た。ただし、私見であるが、この特別研究員の制度は、研究代表者か分担者が指導教授となっている大学院博士課程の者に限られる。現行規定ではそれに従わざるを得ないが、より柔軟性のある制度が臨まれる。たとえば、この制度を利用して、情報処理に長けたものに参加してもらうことは、指導教授が分担者でない限り不可能である。
このような不便さは、この創成的基礎研究(新プログラム)発足に当たっての覚書に各研究費(校費、民間財団の研究費等)の有機的活用利用とある精神からすれば、いささか厳格すぎる制度的規制ともいえる。「規制緩和」をぜひ望みたいところである。
ところで、研究期間5年を経たいま、当初の研究目的がどこまで達成されたのかを自ら問うとき、100パーセント達成しました、とはいえない。研究を進めるほどに、新しい問題、新しい方法、新しい史料の湧出や発見があり、本音をいえば、もう3年は研究費の助成を受けたいところである。しかし、決められた期間内に成果を挙げるのは、プロジェクトに課せられた当然の努めであり、「やむを得ず」現在までに得た知見を「最終報告書」としてここに記すこととしたい。土台、研究には「最終」は存在しないのである。
研究結果の最終的な判断は、ここ一二年の内に始まる研究成果の出版(英語・日本語)に委ねざるを得ない。ここでは、この5年間、われわれは何をしてきたか、を自ら問う形で報告書を記すことにする。
研究組織 (平成12年3月31日現在)
研究代表者(氏名) 勤務先 役職 分担
速水 融 国際日本文化研究センター 名誉教授 総括・歴史人口学
研究分担者(氏名)
川口 洋 帝塚山大学 経営情報学部 助教授 歴史人口学・情報処理
木下 太志 愛知江南短期大学 教授 歴史人口学
鬼頭 宏 上智大学 経済学部 教授 歴史人口学
黒須 里美 麗澤大学 外国語学部 助教授 幹事・歴史人口学
友部 謙一 慶應義塾大学 経済学部 助教授 歴史人口学
浜野 潔 京都学園大学 経済学部 助教授 歴史人口学
松浦 昭 神戸商科大学 経済学部 教授 歴史人口学
三浦 忍 九州産業大学 経済学部 教授 歴史人口学
村越 一哲 駿河台大学 文化情報学部 専任講師 歴史人口学
落合 恵美子 国際日本文化研究センター 研究部 助教授 総括・家族史
石井 紫郎 国際日本文化研究センター 研究部 教授 家族史
太田 素子 共栄学園短期大学 助教授 家族史
岡田 あおい 帝京大学 文学部 助教授 家族史
笠谷 和比古 国際日本文化研究センター 研究部 教授 家族史
坂本 勉 慶應義塾大学 文学部 教授 家族史
沢山 美果子 順正短期大学 教授 家族史
清水 浩昭 日本大学 文理学部 教授 家族史
高木 正朗 立命館大学 産業社会学部 教授 家族史
田代 和生 慶應義塾大学 文学部 教授 家族史
坪内 玲子 龍谷大学 経済学部 教授 家族史
廣嶋 清志 島根大学 法文学部 教授 家族史
松下 敬一郎 龍谷大学 社会学部 助教授 家族史
宮坂 靖子 奈良女子大学 生活環境学部 助教授 家族史
村山 聡 香川大学 教育大学 助教授 家族史
山本 準 鳴門教育大学 学校教育学部 助教授 家族史
吉田 光男 東京大学 文学部 教授 家族史
米村 千代 千葉大学 文学部 専任講師 家族史
HUESS, Harald ドイツ−日本研究所 研究員 家族史
河野 稠果 麗澤大学 国際経済学部 教授 総括・人口学
津谷 典子 慶應義塾大学 経済学部 教授 歴史人口学・人口学
斎藤 修 一橋大学 経済研究所 教授 総括・マクロ統計
溝口 常俊 名古屋大学 文学部 教授 マクロ統計
小野 芳彦 北海道大学 文学部 教授 情報処理
ALTER, George: Indiana University (USA) Belgium, Statistics
BEHAR, Cem: Bosphorus University (Turkey) Ottoman Turkey
BENGTSSON, Tommy: Lund University (Sweden) Sweden
BRESCHI, Marco: Udine University (Italy) Italy
CAMPBELL, Cameron: UCLA (USA) China
CARTIER, Michel: EHESS (France) China
ESSENBEL, Selcuc: Bosphorus University (Turkey) Turkey and Japan
FAUVE-CHAMOUX, Antoinette: EHESS (France) France
HANLEY, Susan: University of Washington (USA) Japan
LEE, James: California Institute of Technology (USA) China
LUNDH, Christer: Lund University (Sweden) Sweden
ORIS, Michel: Geneve University (Switzerland) Belgium
RENZO, Dezoras: Venice University (Italy) Italy
SMITH, Richard: Cambridge Group of the History of Population and
Social Structure (UK) UK
WANG, Feng: Univ. California Irvine (USA) China
評価委員
LASLETT, Peter: Cambridge Group of the History of Population and
Social Structure (UK)
LIVI-BACCI, Massimo: Firenze University (Italy)
SKINNER, G. William: University of California, Davis (USA)
年度別研究費助成金額および課題番号
交付金額(円) 課題番号
平成7年度 (1995) 100,000,000 07NP1301
平成8年度 (1996) 100,000,000 08NP1001
平成9年度 (1997) 100,000,000 09NP1001
平成10年度(1998) 95,000,000 09NP1001
平成11年度(1999) 85,000,000 09NP1001