『ベトナム・ハノイ点描』金丸良子

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1998年7月中旬、国際ベトナム学会に出席するため5回目のハノイ訪問をした。 1回目の訪問が1995年12月に開催された国際ヤオ族学会のワークショップ参加のため であるから、年に2回のペースのベトナム詣でということになる。 学会参加以外の旅は、おもに中国・ラオス国境付近に居住する少数民族・モン族 (中国内ではミャオ族)のムラムラを四輪駆動車に乗って訪ね歩くというものなので、 ハノイにだけ約1週間滞在する今回は特別の旅ということになる。

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ハノイはソンコイ河(紅河)のほとりに位置する水の豊かな並木の美しい町である。 漢字では「河内」と表記するが、1882年以来ハノイを占領したフランス統治の影響で、 「クオック・グー」というローマ字表記のベトナム語ではHaNoiとなる。 飛行機の窓から見降ろすハノイの近郊は、何本もの支流が蛇行し、文字通り「河内」の 様相を呈している。 とくに夏の雨期には、日中は30℃を超えるものの、毎夕刻には激しいスコールが降りそそぎ、ときには道路に水があふれる。

ドイモイ政策の進むハノイ市内
ドイモイ政策の進むハノイ市内
旧市街の中心地・ホアンキエム湖の周囲には、各国大使館やホテルをはじめとするコロニアル様式の欧風建築が建ち並び、スコール後のこころもち涼風のたつ街並を自転車タクシー・シクロに乗って見聞するのも楽しい。街路樹の緑と欧風建築物の淡いクリーム色の家壁が異国情趣を増長させる。
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ホアンキエム湖の西側には、ハノイ大教会のチャーチが聳えているが、建物は厳重に封鎖され、かつての信仰はドイモイ(刷新)政策のいまも依然としてよみがえることを許されていないことが歴然としている。
ハノイ大教会
ハノイ大教会
ハノイ市内の仏教寺院
ハノイ市内の仏教寺院 それに対して約1千年の伝統をもつ中国文化の影響の根強さは、文廟(バンミュウ)(孔子廟)や市内各地に点在している仏教寺院の盛況さをみれば明らかである。

中国に比べると茶色の僧服を身にまとった尼僧の姿が多いのが眼につく。

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ハノイ市内で、最もベトナムらしさを感じさせるのは、毎晩外国人観光客を相手に上演される水上人形劇ということになろうか。

開演前の民族楽器・一弦琴の独奏を含めても約一時間余のプログラムは、水稲耕作を題材にした田遊び風の代(しろ)かき・田植え・ドラゴンボート競渡等の17にものぼる場面で、へそ臍下まで水につかった人形遣いが、舞台後方の竹簾から竿をたくみに操り、コミカルでスピーディーで、かつ哀愁に富んだ構成になっており、言葉の通じぬ異国の客にも大いに受けている。実は、私などは、今回だけでも2度、これまでに見学した回数を含めると5度以上も劇場に足を運んだことになる。

次回は、ぜひ外国人観光客相手ではなく、ベトナムの庶民のために演じている「ドサまわり」の一座のものを探し出して見てみたいものだと意欲がそそがれる。

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国際ベトナム学会はバーディン広場を挟んでホー・チ・ミン廟の向かい側に建つ国会議事堂を会場に、フランス・アメリカ・カナダ・オランダなど欧米系や、日本・中国・韓国などアジア近隣諸国からと現地ベトナム人学者を含めて総勢700名の参加者で3日間の会期でした。
国際ベトナム学会
国際ベトナム学会・オープニング
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日本からは現地に留学している大学院生を含んで外国人最大の50名の参加をみた。専門分野別に15の分科会をつくり、英語とベトナム語の2言語を公用語に討論が繰り返された。ベトナム語はもちろん英語も得意とはいえない私も「ベトナム北部における少数民族――モン族・ダオ族(ヤオ族)を中心にして」というテーマで発表し、1983年以来現在まで40回近く積み上げた中国貴州省のミャオ族調査のデーターと比較しながら、ベトナム北部の少数民族の初歩的実態調査から得たデーターを整理して分析した。

ベトナム側学者からミャオ族・ヤオ族を称して、実は漢民族が越境してきている可能性の指摘があり、欧米系の学者からは、中国領内・ベトナム領内に居住する同じ少数民族を両側から調査しようとする試みは興味深い由の発言を得た。会場内で雲南省昆明から来たミャオ族出身の研究者、中国国境の町・ラオカイから参加したヤオ族の研究者、昨年ハノイにオープンした国立民族学博物館のモン族の若手研究者と知り合い今後の研究交流の可能性が拡がり、私にとってそれなりに有意義な国際学会となった。

また、かつての宗主国のフランスは自国のハノイ大使館を会場に学会参加者を立食パーティーに招待するなど極めてスマートに文化交流の促進を援助し、フォード文化財団が大会運営費を負担する等といったように急速に国際舞台に復帰しつつあるベトナムを取り巻く環境も変化しつつある。95年に国際ヤオ族学会に参加した時には、英語や中国語を話すベトナム人研究者は極めて少なかったのに、今回は積極的に話しかけてくる研究者が増加したというのが実感である。

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年2回のペースのベトナム詣で、次回は年末年始の頃にラオカイ省の奥に居住するミャオ族のムラを再び目途すことになるのであろうか。

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