中国の影絵芝居
○中国の影絵芝居
中国の影絵芝居は「皮影戯(ピーインシー)」とか「弄影戯(ノンインシー)」と称され、文学者・孫楷第の説によると、唐代中晩期あるいは五代の時期(7世紀〜8世紀)に始められたという。当時は仏教寺院が「輪廻応報」の仏法を民衆に説くために演じられた。河北師範大学の魏力群教授によると、影絵芝居が最も盛んな地域の一つである唐山地区の老芸人の間では、現在でも脚本を「影経」「影巻」と呼び、観音菩薩が説法をしたものが「皮影」となったと伝えられ、観音菩薩を祭祀しているという。宋代になると、説唱芸術と結びついて民間の市民文芸の一つとして隆盛をきわめる。文献には、「仁宗時、市人有能談三国事者,或採其説加縁飾作影人,始為魏、蜀、呉三分戦事之像,至今傳焉。」(事物紀原)と記載されている。
北宋末の「靖康の乱」で、金の兵がbian梁(現在の河南省開封)を占領すると、一部の芸人は金に捕えられ北方へと連れ去られて、華北・東北の「北方皮影」の流派を形成する。また一部の芸人は陝西・甘粛へと遷徒し、「西部皮影」の流派を形成する。最も多くの芸人は、宋王朝の臨安(現在の杭州)への遷都にしたがって移動し、その後、広東・福建・台湾へと流伝し、山東・湖北・湖南を含んで「中南部皮影」の流派を形成している。
《慶豊図》の中の影戯 《西遊記》
○人形の素材・造形
影人(インレン・人形)の素材は、「凡影戯乃京師人初以素紙雕、后用彩色装皮為之」(都城紀勝)とあり、北宋時代には紙であったものが、皮(羊)に変化したことを紹介している。しかし、実際には宋代の人形の実物は伝えられていないので詳細はわからない。
現在のところ浙江・広東・四川・陝西・甘粛などは牛皮が使われている。華北・東北などはロバの皮が使われている。また、湖南のものは紙製のものが多い。また、青海・甘粛の一部の少数民族地区では、ラクダ・馬の皮が使われている。
河北・唐山地区の各県では、各劇団の箱子(シイアンズ・人形などを収納する木箱)に必ず犬の皮で作った「大師兄」「二師兄」と呼ばれる非常に醜怪な人形を2体入れている。これは鎮邪の意味で、その他の人形の造反を鎮圧するためである。
また、人形を造型の面からみると、「頭(トウチャ)」と称する頭部が、北方皮影は鼻から額にかけて直線的であるのに対して、西部皮影は丸みを帯びた高い額が特徴である。

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参考文献
参考文献

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(表題をクリックして下さい)
→人形製作の工人を訪ねて
→邯鄲・成安県西姚堡村の影絵芝居
→唐山・楽亭県の影絵芝居
→楽亭県皮影団
→老芸人・高政橋氏(1927年生)の話
注)一部中国語表記の為、文字を画像として表示してありますので読み難くなっておりますが御了承下さい。


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