こころ 夏目漱石 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)私《わたくし》はその人を常に先生と呼んでいた |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)先生一人|麦藁帽《むぎわらぼう》を [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77] -------------------------------------------------------   上 先生と私      一  私はその人を常に先生と呼んでいた。 だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。 これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。 私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。 筆を執っても心持は同じ事である。 よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。  私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。 その時私はまだ若々しい書生であった。 暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったので、私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。 私は金の工面に二、三日を費やした。 ところが私が鎌倉に着いて三日と経たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。 電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。 友達はかねてから国元にいる親たちに勧まない結婚を強いられていた。 彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。 それに肝心の当人が気に入らなかった。 それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。 彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。 私にはどうしていいか分らなかった。 けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固より帰るべきはずであった。 それで彼はとうとう帰る事になった。 せっかく来た私は一人取り残された。  学校の授業が始まるにはまだ大分日数があるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留まる覚悟をした。 友達は中国のある資産家の息子で金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。 したがって一人ぼっちになった私は別に恰好な宿を探す面倒ももたなかったのである。  宿は鎌倉でも辺鄙な方角にあった。 玉突きだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷を一つ越さなければ手が届かなかった。 車で行っても二十銭は取られた。 けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。 それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。  私は毎日海へはいりに出掛けた。 古い燻ぶり返った藁葺の間を通り抜けて磯へ下りると、この辺にこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。 ある時は海の中が銭湯のように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。 その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑やかな景色の中に裹まれて、砂の上に寝そべってみたり、膝頭を波に打たしてそこいらを跳ね廻るのは愉快であった。  私は実に先生をこの雑沓の間に見付け出したのである。 その時海岸には掛茶屋が二軒あった。 私はふとした機会からその一軒の方に行き慣れていた。 長谷辺に大きな別荘を構えている人と違って、各自に専有の着換場を拵えていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風なものが必要なのであった。 彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外に、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹はゆい身体を清めたり、ここへ帽子や傘を預けたりするのである。 海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切を脱ぎ棄てる事にしていた。      二  私がその掛茶屋で先生を見た時は、先生がちょうど着物を脱いでこれから海へ入ろうとするところであった。 私はその時反対に濡れた身体を風に吹かして水から上がって来た。 二人の間には目を遮る幾多の黒い頭が動いていた。 特別の事情のない限り、私はついに先生を見逃したかも知れなかった。 それほど浜辺が混雑し、それほど私の頭が放漫であったにもかかわらず、私がすぐ先生を見付け出したのは、先生が一人の西洋人を伴れていたからである。  その西洋人の優れて白い皮膚の色が、掛茶屋へ入るや否や、すぐ私の注意を惹いた。 純粋の日本の浴衣を着ていた彼は、それを床几の上にすぽりと放り出したまま、腕組みをして海の方を向いて立っていた。 彼は我々の穿く猿股一つの外何物も肌に着けていなかった。 私にはそれが第一不思議だった。 私はその二日前に由井が浜まで行って、砂の上にしゃがみながら、長い間西洋人の海へ入る様子を眺めていた。 私の尻をおろした所は少し小高い丘の上で、そのすぐ傍がホテルの裏口になっていたので、私の凝としている間に、大分多くの男が塩を浴びに出て来たが、いずれも胴と腕と股は出していなかった。 女は殊更肉を隠しがちであった。 大抵は頭に護謨製の頭巾を被って、海老茶や紺や藍の色を波間に浮かしていた。 そういう有様を目撃したばかりの私の眼には、猿股一つで済まして皆なの前に立っているこの西洋人がいかにも珍しく見えた。  彼はやがて自分の傍を顧みて、そこにこごんでいる日本人に、一言二言何かいった。 その日本人は砂の上に落ちた手拭を拾い上げているところであったが、それを取り上げるや否や、すぐ頭を包んで、海の方へ歩き出した。 その人がすなわち先生であった。  私は単に好奇心のために、並んで浜辺を下りて行く二人の後姿を見守っていた。 すると彼らは真直に波の中に足を踏み込んだ。 そうして遠浅の磯近くにわいわい騒いでいる多人数の間を通り抜けて、比較的広々した所へ来ると、二人とも泳ぎ出した。 彼らの頭が小さく見えるまで沖の方へ向いて行った。 それから引き返してまた一直線に浜辺まで戻って来た。 掛茶屋へ帰ると、井戸の水も浴びずに、すぐ身体を拭いて着物を着て、さっさとどこへか行ってしまった。  彼らの出て行った後、私はやはり元の床几に腰をおろして烟草を吹かしていた。 その時私はぽかんとしながら先生の事を考えた。 どうもどこかで見た事のある顔のように思われてならなかった。 しかしどうしてもいつどこで会った人か想い出せずにしまった。  その時の私は屈托がないというよりむしろ無聊に苦しんでいた。 それで翌日もまた先生に会った時刻を見計らって、わざわざ掛茶屋まで出かけてみた。 すると西洋人は来ないで先生一人麦藁帽を被ってやって来た。 先生は眼鏡をとって台の上に置いて、すぐ手拭で頭を包んで、すたすた浜を下りて行った。 先生が昨日のように騒がしい浴客の中を通り抜けて、一人で泳ぎ出した時、私は急にその後が追い掛けたくなった。 私は浅い水を頭の上まで跳かして相当の深さの所まで来て、そこから先生を目標に抜手を切った。 すると先生は昨日と違って、一種の弧線を描いて、妙な方向から岸の方へ帰り始めた。 それで私の目的はついに達せられなかった。 私が陸へ上がって雫の垂れる手を振りながら掛茶屋に入ると、先生はもうちゃんと着物を着て入れ違いに外へ出て行った。      三  私は次の日も同じ時刻に浜へ行って先生の顔を見た。 その次の日にもまた同じ事を繰り返した。 けれども物をいい掛ける機会も、挨拶をする場合も、二人の間には起らなかった。 その上先生の態度はむしろ非社交的であった。 一定の時刻に超然として来て、また超然と帰って行った。 周囲がいくら賑やかでも、それにはほとんど注意を払う様子が見えなかった。 最初いっしょに来た西洋人はその後まるで姿を見せなかった。 先生はいつでも一人であった。  或る時先生が例の通りさっさと海から上がって来て、いつもの場所に脱ぎ棄てた浴衣を着ようとすると、どうした訳か、その浴衣に砂がいっぱい着いていた。 先生はそれを落すために、後ろ向きになって、浴衣を二、三度振った。 すると着物の下に置いてあった眼鏡が板の隙間から下へ落ちた。 先生は白絣の上へ兵児帯を締めてから、眼鏡の失くなったのに気が付いたと見えて、急にそこいらを探し始めた。 私はすぐ腰掛の下へ首と手を突ッ込んで眼鏡を拾い出した。 先生は有難うといって、それを私の手から受け取った。  次の日私は先生の後につづいて海へ飛び込んだ。 そうして先生といっしょの方角に泳いで行った。 二丁ほど沖へ出ると、先生は後ろを振り返って私に話し掛けた。 広い蒼い海の表面に浮いているものは、その近所に私ら二人より外になかった。 そうして強い太陽の光が、眼の届く限り水と山とを照らしていた。 私は自由と歓喜に充ちた筋肉を動かして海の中で躍り狂った。 先生はまたぱたりと手足の運動を已めて仰向けになったまま浪の上に寝た。 私もその真似をした。 青空の色がぎらぎらと眼を射るように痛烈な色を私の顔に投げ付けた。 「愉快ですね」と私は大きな声を出した。  しばらくして海の中で起き上がるように姿勢を改めた先生は、「もう帰りませんか」といって私を促した。 比較的強い体質をもった私は、もっと海の中で遊んでいたかった。 しかし先生から誘われた時、私はすぐ「ええ帰りましょう」と快く答えた。 そうして二人でまた元の路を浜辺へ引き返した。  私はこれから先生と懇意になった。 しかし先生がどこにいるかはまだ知らなかった。  それから中二日おいてちょうど三日目の午後だったと思う。 先生と掛茶屋で出会った時、先生は突然私に向かって、「君はまだ大分長くここにいるつもりですか」と聞いた。 考えのない私はこういう問いに答えるだけの用意を頭の中に蓄えていなかった。 それで「どうだか分りません」と答えた。 しかしにやにや笑っている先生の顔を見た時、私は急に極りが悪くなった。 「先生は?」と聞き返さずにはいられなかった。 これが私の口を出た先生という言葉の始まりである。  私はその晩先生の宿を尋ねた。 宿といっても普通の旅館と違って、広い寺の境内にある別荘のような建物であった。 そこに住んでいる人の先生の家族でない事も解った。 私が先生先生と呼び掛けるので、先生は苦笑いをした。 私はそれが年長者に対する私の口癖だといって弁解した。 私はこの間の西洋人の事を聞いてみた。 先生は彼の風変りのところや、もう鎌倉にいない事や、色々の話をした末、日本人にさえあまり交際をもたないのに、そういう外国人と近付きになったのは不思議だといったりした。 私は最後に先生に向かって、どこかで先生を見たように思うけれども、どうしても思い出せないといった。 若い私はその時暗に相手も私と同じような感じを持っていはしまいかと疑った。 そうして腹の中で先生の返事を予期してかかった。 ところが先生はしばらく沈吟したあとで、「どうも君の顔には見覚えがありませんね。 人違いじゃないですか」といったので私は変に一種の失望を感じた。      四  私は月の末に東京へ帰った。 先生の避暑地を引き上げたのはそれよりずっと前であった。 私は先生と別れる時に、「これから折々お宅へ伺っても宜ござんすか」と聞いた。 先生は単簡にただ「ええいらっしゃい」といっただけであった。 その時分の私は先生とよほど懇意になったつもりでいたので、先生からもう少し濃かな言葉を予期して掛ったのである。 それでこの物足りない返事が少し私の自信を傷めた。  私はこういう事でよく先生から失望させられた。 先生はそれに気が付いているようでもあり、また全く気が付かないようでもあった。 私はまた軽微な失望を繰り返しながら、それがために先生から離れて行く気にはなれなかった。 むしろそれとは反対で、不安に揺かされるたびに、もっと前へ進みたくなった。 もっと前へ進めば、私の予期するあるものが、いつか眼の前に満足に現われて来るだろうと思った。 私は若かった。 けれどもすべての人間に対して、若い血がこう素直に働こうとは思わなかった。 私はなぜ先生に対してだけこんな心持が起るのか解らなかった。 それが先生の亡くなった今日になって、始めて解って来た。 先生は始めから私を嫌っていたのではなかったのである。 先生が私に示した時々の素気ない挨拶や冷淡に見える動作は、私を遠ざけようとする不快の表現ではなかったのである。 傷ましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値のないものだから止せという警告を与えたのである。 他の懐かしみに応じない先生は、他を軽蔑する前に、まず自分を軽蔑していたものとみえる。  私は無論先生を訪ねるつもりで東京へ帰って来た。 帰ってから授業の始まるまでにはまだ二週間の日数があるので、そのうちに一度行っておこうと思った。 しかし帰って二日三日と経つうちに、鎌倉にいた時の気分が段々薄くなって来た。 そうしてその上に彩られる大都会の空気が、記憶の復活に伴う強い刺戟と共に、濃く私の心を染め付けた。 私は往来で学生の顔を見るたびに新しい学年に対する希望と緊張とを感じた。 私はしばらく先生の事を忘れた。  授業が始まって、一カ月ばかりすると私の心に、また一種の弛みができてきた。 私は何だか不足な顔をして往来を歩き始めた。 物欲しそうに自分の室の中を見廻した。 私の頭には再び先生の顔が浮いて出た。 私はまた先生に会いたくなった。  始めて先生の宅を訪ねた時、先生は留守であった。 二度目に行ったのは次の日曜だと覚えている。 晴れた空が身に沁み込むように感ぜられる好い日和であった。 その日も先生は留守であった。 鎌倉にいた時、私は先生自身の口から、いつでも大抵宅にいるという事を聞いた。 むしろ外出嫌いだという事も聞いた。 二度来て二度とも会えなかった私は、その言葉を思い出して、理由もない不満をどこかに感じた。 私はすぐ玄関先を去らなかった。 下女の顔を見て少し躊躇してそこに立っていた。 この前名刺を取り次いだ記憶のある下女は、私を待たしておいてまた内へはいった。 すると奥さんらしい人が代って出て来た。 美しい奥さんであった。  私はその人から鄭寧に先生の出先を教えられた。 先生は例月その日になると雑司ヶ谷の墓地にある或る仏へ花を手向けに行く習慣なのだそうである。 「たった今出たばかりで、十分になるか、ならないかでございます」と奥さんは気の毒そうにいってくれた。 私は会釈して外へ出た。 賑かな町の方へ一丁ほど歩くと、私も散歩がてら雑司ヶ谷へ行ってみる気になった。 先生に会えるか会えないかという好奇心も動いた。 それですぐ踵を回らした。      五  私は墓地の手前にある苗畠の左側からはいって、両方に楓を植え付けた広い道を奥の方へ進んで行った。 するとその端れに見える茶店の中から先生らしい人がふいと出て来た。 私はその人の眼鏡の縁が日に光るまで近く寄って行った。 そうして出し抜けに「先生」と大きな声を掛けた。 先生は突然立ち留まって私の顔を見た。 「どうして……、どうして……」  先生は同じ言葉を二遍繰り返した。 その言葉は森閑とした昼の中に異様な調子をもって繰り返された。 私は急に何とも応えられなくなった。 「私の後を跟けて来たのですか。 どうして……」  先生の態度はむしろ落ち付いていた。 声はむしろ沈んでいた。 けれどもその表情の中には判然いえないような一種の曇りがあった。  私は私がどうしてここへ来たかを先生に話した。 「誰の墓へ参りに行ったか、妻がその人の名をいいましたか」 「いいえ、そんな事は何もおっしゃいません」 「そうですか。 ――そう、それはいうはずがありませんね、始めて会ったあなたに。 いう必要がないんだから」  先生はようやく得心したらしい様子であった。 しかし私にはその意味がまるで解らなかった。  先生と私は通りへ出ようとして墓の間を抜けた。 依撒伯拉何々の墓だの、神僕ロギンの墓だのという傍に、一切衆生悉有仏生と書いた塔婆などが建ててあった。 全権公使何々というのもあった。 私は安得烈と彫り付けた小さい墓の前で、「これは何と読むんでしょう」と先生に聞いた。 「アンドレとでも読ませるつもりでしょうね」といって先生は苦笑した。  先生はこれらの墓標が現わす人種々の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。 私が丸い墓石だの細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは死という事実をまだ真面目に考えた事がありませんね」といった。 私は黙った。 先生もそれぎり何ともいわなくなった。  墓地の区切り目に、大きな銀杏が一本空を隠すように立っていた。 その下へ来た時、先生は高い梢を見上げて、「もう少しすると、綺麗ですよ。 この木がすっかり黄葉して、ここいらの地面は金色の落葉で埋まるようになります」といった。 先生は月に一度ずつは必ずこの木の下を通るのであった。  向うの方で凸凹の地面をならして新墓地を作っている男が、鍬の手を休めて私たちを見ていた。 私たちはそこから左へ切れてすぐ街道へ出た。  これからどこへ行くという目的のない私は、ただ先生の歩く方へ歩いて行った。 先生はいつもより口数を利かなかった。 それでも私はさほどの窮屈を感じなかったので、ぶらぶらいっしょに歩いて行った。 「すぐお宅へお帰りですか」 「ええ別に寄る所もありませんから」  二人はまた黙って南の方へ坂を下りた。 「先生のお宅の墓地はあすこにあるんですか」と私がまた口を利き出した。 「いいえ」 「どなたのお墓があるんですか。 ――ご親類のお墓ですか」 「いいえ」  先生はこれ以外に何も答えなかった。 私もその話はそれぎりにして切り上げた。 すると一町ほど歩いた後で、先生が不意にそこへ戻って来た。 「あすこには私の友達の墓があるんです」 「お友達のお墓へ毎月お参りをなさるんですか」 「そうです」  先生はその日これ以外を語らなかった。      六  私はそれから時々先生を訪問するようになった。 行くたびに先生は在宅であった。 先生に会う度数が重なるにつれて、私はますます繁く先生の玄関へ足を運んだ。  けれども先生の私に対する態度は初めて挨拶をした時も、懇意になったその後も、あまり変りはなかった。 先生は何時も静かであった。 ある時は静か過ぎて淋しいくらいであった。 私は最初から先生には近づきがたい不思議があるように思っていた。 それでいて、どうしても近づかなければいられないという感じが、どこかに強く働いた。 こういう感じを先生に対してもっていたものは、多くの人のうちであるいは私だけかも知れない。 しかしその私だけにはこの直感が後になって事実の上に証拠立てられたのだから、私は若々しいといわれても、馬鹿げていると笑われても、それを見越した自分の直覚をとにかく頼もしくまた嬉しく思っている。 人間を愛し得る人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入ろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、――これが先生であった。  今いった通り先生は始終静かであった。 落ち付いていた。 けれども時として変な曇りがその顔を横切る事があった。 窓に黒い鳥影が射すように。 射すかと思うと、すぐ消えるには消えたが。 私が始めてその曇りを先生の眉間に認めたのは、雑司ヶ谷の墓地で、不意に先生を呼び掛けた時であった。 私はその異様の瞬間に、今まで快く流れていた心臓の潮流をちょっと鈍らせた。 しかしそれは単に一時の結滞に過ぎなかった。 私の心は五分と経たないうちに平素の弾力を回復した。 私はそれぎり暗そうなこの雲の影を忘れてしまった。 ゆくりなくまたそれを思い出させられたのは、小春の尽きるに間のない或る晩の事であった。  先生と話していた私は、ふと先生がわざわざ注意してくれた銀杏の大樹を眼の前に想い浮かべた。 勘定してみると、先生が毎月例として墓参に行く日が、それからちょうど三日目に当っていた。 その三日目は私の課業が午で終える楽な日であった。 私は先生に向かってこういった。 「先生雑司ヶ谷の銀杏はもう散ってしまったでしょうか」 「まだ空坊主にはならないでしょう」  先生はそう答えながら私の顔を見守った。 そうしてそこからしばし眼を離さなかった。 私はすぐいった。 「今度お墓参りにいらっしゃる時にお伴をしても宜ござんすか。 私は先生といっしょにあすこいらが散歩してみたい」 「私は墓参りに行くんで、散歩に行くんじゃないですよ」 「しかしついでに散歩をなすったらちょうど好いじゃありませんか」  先生は何とも答えなかった。 しばらくしてから、「私のは本当の墓参りだけなんだから」といって、どこまでも墓参と散歩を切り離そうとする風に見えた。 私と行きたくない口実だか何だか、私にはその時の先生が、いかにも子供らしくて変に思われた。 私はなおと先へ出る気になった。 「じゃお墓参りでも好いからいっしょに伴れて行って下さい。 私もお墓参りをしますから」  実際私には墓参と散歩との区別がほとんど無意味のように思われたのである。 すると先生の眉がちょっと曇った。 眼のうちにも異様の光が出た。 それは迷惑とも嫌悪とも畏怖とも片付けられない微かな不安らしいものであった。 私は忽ち雑司ヶ谷で「先生」と呼び掛けた時の記憶を強く思い起した。 二つの表情は全く同じだったのである。 「私は」と先生がいった。 「私はあなたに話す事のできないある理由があって、他といっしょにあすこへ墓参りには行きたくないのです。 自分の妻さえまだ伴れて行った事がないのです」      七  私は不思議に思った。 しかし私は先生を研究する気でその宅へ出入りをするのではなかった。 私はただそのままにして打ち過ぎた。 今考えるとその時の私の態度は、私の生活のうちでむしろ尊むべきものの一つであった。 私は全くそのために先生と人間らしい温かい交際ができたのだと思う。 もし私の好奇心が幾分でも先生の心に向かって、研究的に働き掛けたなら、二人の間を繋ぐ同情の糸は、何の容赦もなくその時ふつりと切れてしまったろう。 若い私は全く自分の態度を自覚していなかった。 それだから尊いのかも知れないが、もし間違えて裏へ出たとしたら、どんな結果が二人の仲に落ちて来たろう。 私は想像してもぞっとする。 先生はそれでなくても、冷たい眼で研究されるのを絶えず恐れていたのである。  私は月に二度もしくは三度ずつ必ず先生の宅へ行くようになった。 私の足が段々繁くなった時のある日、先生は突然私に向かって聞いた。 「あなたは何でそうたびたび私のようなものの宅へやって来るのですか」 「何でといって、そんな特別な意味はありません。 ――しかしお邪魔なんですか」 「邪魔だとはいいません」  なるほど迷惑という様子は、先生のどこにも見えなかった。 私は先生の交際の範囲の極めて狭い事を知っていた。 先生の元の同級生などで、その頃東京にいるものはほとんど二人か三人しかないという事も知っていた。 先生と同郷の学生などには時たま座敷で同座する場合もあったが、彼らのいずれもは皆な私ほど先生に親しみをもっていないように見受けられた。 「私は淋しい人間です」と先生がいった。 「だからあなたの来て下さる事を喜んでいます。 だからなぜそうたびたび来るのかといって聞いたのです」 「そりゃまたなぜです」  私がこう聞き返した時、先生は何とも答えなかった。 ただ私の顔を見て「あなたは幾歳ですか」といった。  この問答は私にとってすこぶる不得要領のものであったが、私はその時底まで押さずに帰ってしまった。 しかもそれから四日と経たないうちにまた先生を訪問した。 先生は座敷へ出るや否や笑い出した。 「また来ましたね」といった。 「ええ来ました」といって自分も笑った。  私は外の人からこういわれたらきっと癪に触ったろうと思う。 しかし先生にこういわれた時は、まるで反対であった。 癪に触らないばかりでなくかえって愉快だった。 「私は淋しい人間です」と先生はその晩またこの間の言葉を繰り返した。 「私は淋しい人間ですが、ことによるとあなたも淋しい人間じゃないですか。 私は淋しくっても年を取っているから、動かずにいられるが、若いあなたはそうは行かないのでしょう。 動けるだけ動きたいのでしょう。 動いて何かに打つかりたいのでしょう……」 「私はちっとも淋しくはありません」 「若いうちほど淋しいものはありません。 そんならなぜあなたはそうたびたび私の宅へ来るのですか」  ここでもこの間の言葉がまた先生の口から繰り返された。 「あなたは私に会ってもおそらくまだ淋しい気がどこかでしているでしょう。 私にはあなたのためにその淋しさを根元から引き抜いて上げるだけの力がないんだから。 あなたは外の方を向いて今に手を広げなければならなくなります。 今に私の宅の方へは足が向かなくなります」  先生はこういって淋しい笑い方をした。      八  幸いにして先生の予言は実現されずに済んだ。 経験のない当時の私は、この予言の中に含まれている明白な意義さえ了解し得なかった。 私は依然として先生に会いに行った。 その内いつの間にか先生の食卓で飯を食うようになった。 自然の結果奥さんとも口を利かなければならないようになった。  普通の人間として私は女に対して冷淡ではなかった。 けれども年の若い私の今まで経過して来た境遇からいって、私はほとんど交際らしい交際を女に結んだ事がなかった。 それが源因かどうかは疑問だが、私の興味は往来で出合う知りもしない女に向かって多く働くだけであった。 先生の奥さんにはその前玄関で会った時、美しいという印象を受けた。 それから会うたんびに同じ印象を受けない事はなかった。 しかしそれ以外に私はこれといってとくに奥さんについて語るべき何物ももたないような気がした。  これは奥さんに特色がないというよりも、特色を示す機会が来なかったのだと解釈する方が正当かも知れない。 しかし私はいつでも先生に付属した一部分のような心持で奥さんに対していた。 奥さんも自分の夫の所へ来る書生だからという好意で、私を遇していたらしい。 だから中間に立つ先生を取り除ければ、つまり二人はばらばらになっていた。 それで始めて知り合いになった時の奥さんについては、ただ美しいという外に何の感じも残っていない。  ある時私は先生の宅で酒を飲まされた。 その時奥さんが出て来て傍で酌をしてくれた。 先生はいつもより愉快そうに見えた。 奥さんに「お前も一つお上がり」といって、自分の呑み干した盃を差した。 奥さんは「私は……」と辞退しかけた後、迷惑そうにそれを受け取った。 奥さんは綺麗な眉を寄せて、私の半分ばかり注いで上げた盃を、唇の先へ持って行った。 奥さんと先生の間に下のような会話が始まった。 「珍らしい事。 私に呑めとおっしゃった事は滅多にないのにね」 「お前は嫌いだからさ。 しかし稀には飲むといいよ。 好い心持になるよ」 「ちっともならないわ。 苦しいぎりで。 でもあなたは大変ご愉快そうね、少しご酒を召し上がると」 「時によると大変愉快になる。 しかしいつでもというわけにはいかない」 「今夜はいかがです」 「今夜は好い心持だね」 「これから毎晩少しずつ召し上がると宜ござんすよ」 「そうはいかない」 「召し上がって下さいよ。 その方が淋しくなくって好いから」  先生の宅は夫婦と下女だけであった。 行くたびに大抵はひそりとしていた。 高い笑い声などの聞こえる試しはまるでなかった。 或る時は宅の中にいるものは先生と私だけのような気がした。 「子供でもあると好いんですがね」と奥さんは私の方を向いていった。 私は「そうですな」と答えた。 しかし私の心には何の同情も起らなかった。 子供を持った事のないその時の私は、子供をただ蒼蠅いもののように考えていた。 「一人貰ってやろうか」と先生がいった。 「貰ッ子じゃ、ねえあなた」と奥さんはまた私の方を向いた。 「子供はいつまで経ったってできっこないよ」と先生がいった。  奥さんは黙っていた。 「なぜです」と私が代りに聞いた時先生は「天罰だからさ」といって高く笑った。      九  私の知る限り先生と奥さんとは、仲の好い夫婦の一対であった。 家庭の一員として暮した事のない私のことだから、深い消息は無論解らなかったけれども、座敷で私と対坐している時、先生は何かのついでに、下女を呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった。 (奥さんの名は静といった)。 先生は「おい静」といつでも襖の方を振り向いた。 その呼びかたが私には優しく聞こえた。 返事をして出て来る奥さんの様子も甚だ素直であった。 ときたまご馳走になって、奥さんが席へ現われる場合などには、この関係が一層明らかに二人の間に描き出されるようであった。  先生は時々奥さんを伴れて、音楽会だの芝居だのに行った。 それから夫婦づれで一週間以内の旅行をした事も、私の記憶によると、二、三度以上あった。 私は箱根から貰った絵端書をまだ持っている。 日光へ行った時は紅葉の葉を一枚封じ込めた郵便も貰った。  当時の私の眼に映った先生と奥さんの間柄はまずこんなものであった。 そのうちにたった一つの例外があった。 ある日私がいつもの通り、先生の玄関から案内を頼もうとすると、座敷の方でだれかの話し声がした。 よく聞くと、それが尋常の談話でなくって、どうも言逆いらしかった。 先生の宅は玄関の次がすぐ座敷になっているので、格子の前に立っていた私の耳にその言逆いの調子だけはほぼ分った。 そうしてそのうちの一人が先生だという事も、時々高まって来る男の方の声で解った。 相手は先生よりも低い音なので、誰だか判然しなかったが、どうも奥さんらしく感ぜられた。 泣いているようでもあった。 私はどうしたものだろうと思って玄関先で迷ったが、すぐ決心をしてそのまま下宿へ帰った。  妙に不安な心持が私を襲って来た。 私は書物を読んでも呑み込む能力を失ってしまった。 約一時間ばかりすると先生が窓の下へ来て私の名を呼んだ。 私は驚いて窓を開けた。 先生は散歩しようといって、下から私を誘った。 先刻帯の間へ包んだままの時計を出して見ると、もう八時過ぎであった。 私は帰ったなりまだ袴を着けていた。 私はそれなりすぐ表へ出た。  その晩私は先生といっしょに麦酒を飲んだ。 先生は元来酒量に乏しい人であった。 ある程度まで飲んで、それで酔えなければ、酔うまで飲んでみるという冒険のできない人であった。 「今日は駄目です」といって先生は苦笑した。 「愉快になれませんか」と私は気の毒そうに聞いた。  私の腹の中には始終先刻の事が引っ懸っていた。 肴の骨が咽喉に刺さった時のように、私は苦しんだ。 打ち明けてみようかと考えたり、止した方が好かろうかと思い直したりする動揺が、妙に私の様子をそわそわさせた。 「君、今夜はどうかしていますね」と先生の方からいい出した。 「実は私も少し変なのですよ。 君に分りますか」  私は何の答えもし得なかった。 「実は先刻妻と少し喧嘩をしてね。 それで下らない神経を昂奮させてしまったんです」と先生がまたいった。 「どうして……」  私には喧嘩という言葉が口へ出て来なかった。 「妻が私を誤解するのです。 それを誤解だといって聞かせても承知しないのです。 つい腹を立てたのです」 「どんなに先生を誤解なさるんですか」  先生は私のこの問いに答えようとはしなかった。 「妻が考えているような人間なら、私だってこんなに苦しんでいやしない」  先生がどんなに苦しんでいるか、これも私には想像の及ばない問題であった。      十  二人が帰るとき歩きながらの沈黙が一丁も二丁もつづいた。 その後で突然先生が口を利き出した。 「悪い事をした。 怒って出たから妻はさぞ心配をしているだろう。 考えると女は可哀そうなものですね。 私の妻などは私より外にまるで頼りにするものがないんだから」  先生の言葉はちょっとそこで途切れたが、別に私の返事を期待する様子もなく、すぐその続きへ移って行った。 「そういうと、夫の方はいかにも心丈夫のようで少し滑稽だが。 君、私は君の眼にどう映りますかね。 強い人に見えますか、弱い人に見えますか」 「中位に見えます」と私は答えた。 この答えは先生にとって少し案外らしかった。 先生はまた口を閉じて、無言で歩き出した。  先生の宅へ帰るには私の下宿のつい傍を通るのが順路であった。 私はそこまで来て、曲り角で分れるのが先生に済まないような気がした。 「ついでにお宅の前までお伴しましょうか」といった。 先生は忽ち手で私を遮った。 「もう遅いから早く帰りたまえ。 私も早く帰ってやるんだから、妻君のために」  先生が最後に付け加えた「妻君のために」という言葉は妙にその時の私の心を暖かにした。 私はその言葉のために、帰ってから安心して寝る事ができた。 私はその後も長い間この「妻君のために」という言葉を忘れなかった。  先生と奥さんの間に起った波瀾が、大したものでない事はこれでも解った。 それがまた滅多に起る現象でなかった事も、その後絶えず出入りをして来た私にはほぼ推察ができた。 それどころか先生はある時こんな感想すら私に洩らした。 「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。 妻以外の女はほとんど女として私に訴えないのです。 妻の方でも、私を天下にただ一人しかない男と思ってくれています。 そういう意味からいって、私たちは最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです」  私は今前後の行き掛りを忘れてしまったから、先生が何のためにこんな自白を私にして聞かせたのか、判然いう事ができない。 けれども先生の態度の真面目であったのと、調子の沈んでいたのとは、いまだに記憶に残っている。 その時ただ私の耳に異様に響いたのは、「最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです」という最後の一句であった。 先生はなぜ幸福な人間といい切らないで、あるべきはずであると断わったのか。 私にはそれだけが不審であった。 ことにそこへ一種の力を入れた先生の語気が不審であった。 先生は事実はたして幸福なのだろうか、また幸福であるべきはずでありながら、それほど幸福でないのだろうか。 私は心の中で疑らざるを得なかった。 けれどもその疑いは一時限りどこかへ葬られてしまった。  私はそのうち先生の留守に行って、奥さんと二人差向いで話をする機会に出合った。 先生はその日横浜を出帆する汽船に乗って外国へ行くべき友人を新橋へ送りに行って留守であった。 横浜から船に乗る人が、朝八時半の汽車で新橋を立つのはその頃の習慣であった。 私はある書物について先生に話してもらう必要があったので、あらかじめ先生の承諾を得た通り、約束の九時に訪問した。 先生の新橋行きは前日わざわざ告別に来た友人に対する礼義としてその日突然起った出来事であった。 先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行った。 それで私は座敷へ上がって、先生を待つ間、奥さんと話をした。      十一  その時の私はすでに大学生であった。 始めて先生の宅へ来た頃から見るとずっと成人した気でいた。 奥さんとも大分懇意になった後であった。 私は奥さんに対して何の窮屈も感じなかった。 差向いで色々の話をした。 しかしそれは特色のないただの談話だから、今ではまるで忘れてしまった。 そのうちでたった一つ私の耳に留まったものがある。 しかしそれを話す前に、ちょっと断っておきたい事がある。  先生は大学出身であった。 これは始めから私に知れていた。 しかし先生の何もしないで遊んでいるという事は、東京へ帰って少し経ってから始めて分った。 私はその時どうして遊んでいられるのかと思った。  先生はまるで世間に名前を知られていない人であった。 だから先生の学問や思想については、先生と密切の関係をもっている私より外に敬意を払うもののあるべきはずがなかった。 それを私は常に惜しい事だといった。 先生はまた「私のようなものが世の中へ出て、口を利いては済まない」と答えるぎりで、取り合わなかった。 私にはその答えが謙遜過ぎてかえって世間を冷評するようにも聞こえた。 実際先生は時々昔の同級生で今著名になっている誰彼を捉えて、ひどく無遠慮な批評を加える事があった。 それで私は露骨にその矛盾を挙げて云々してみた。 私の精神は反抗の意味というよりも、世間が先生を知らないで平気でいるのが残念だったからである。 その時先生は沈んだ調子で、「どうしても私は世間に向かって働き掛ける資格のない男だから仕方がありません」といった。 先生の顔には深い一種の表情がありありと刻まれた。 私にはそれが失望だか、不平だか、悲哀だか、解らなかったけれども、何しろ二の句の継げないほどに強いものだったので、私はそれぎり何もいう勇気が出なかった。  私が奥さんと話している間に、問題が自然先生の事からそこへ落ちて来た。 「先生はなぜああやって、宅で考えたり勉強したりなさるだけで、世の中へ出て仕事をなさらないんでしょう」 「あの人は駄目ですよ。 そういう事が嫌いなんですから」 「つまり下らない事だと悟っていらっしゃるんでしょうか」 「悟るの悟らないのって、――そりゃ女だからわたくしには解りませんけれど、おそらくそんな意味じゃないでしょう。 やっぱり何かやりたいのでしょう。 それでいてできないんです。 だから気の毒ですわ」 「しかし先生は健康からいって、別にどこも悪いところはないようじゃありませんか」 「丈夫ですとも。 何にも持病はありません」 「それでなぜ活動ができないんでしょう」 「それが解らないのよ、あなた。 それが解るくらいなら私だって、こんなに心配しやしません。 わからないから気の毒でたまらないんです」  奥さんの語気には非常に同情があった。 それでも口元だけには微笑が見えた。 外側からいえば、私の方がむしろ真面目だった。 私はむずかしい顔をして黙っていた。 すると奥さんが急に思い出したようにまた口を開いた。 「若い時はあんな人じゃなかったんですよ。 若い時はまるで違っていました。 それが全く変ってしまったんです」 「若い時っていつ頃ですか」と私が聞いた。 「書生時代よ」 「書生時代から先生を知っていらっしゃったんですか」  奥さんは急に薄赤い顔をした。      十二  奥さんは東京の人であった。 それはかつて先生からも奥さん自身からも聞いて知っていた。 奥さんは「本当いうと合の子なんですよ」といった。 奥さんの父親はたしか鳥取かどこかの出であるのに、お母さんの方はまだ江戸といった時分の市ヶ谷で生れた女なので、奥さんは冗談半分そういったのである。 ところが先生は全く方角違いの新潟県人であった。 だから奥さんがもし先生の書生時代を知っているとすれば、郷里の関係からでない事は明らかであった。 しかし薄赤い顔をした奥さんはそれより以上の話をしたくないようだったので、私の方でも深くは聞かずにおいた。  先生と知り合いになってから先生の亡くなるまでに、私はずいぶん色々の問題で先生の思想や情操に触れてみたが、結婚当時の状況については、ほとんど何ものも聞き得なかった。 私は時によると、それを善意に解釈してもみた。 年輩の先生の事だから、艶めかしい回想などを若いものに聞かせるのはわざと慎んでいるのだろうと思った。 時によると、またそれを悪くも取った。 先生に限らず、奥さんに限らず、二人とも私に比べると、一時代前の因襲のうちに成人したために、そういう艶っぽい問題になると、正直に自分を開放するだけの勇気がないのだろうと考えた。 もっともどちらも推測に過ぎなかった。 そうしてどちらの推測の裏にも、二人の結婚の奥に横たわる花やかなロマンスの存在を仮定していた。  私の仮定ははたして誤らなかった。 けれども私はただ恋の半面だけを想像に描き得たに過ぎなかった。 先生は美しい恋愛の裏に、恐ろしい悲劇を持っていた。 そうしてその悲劇のどんなに先生にとって見惨なものであるかは相手の奥さんにまるで知れていなかった。 奥さんは今でもそれを知らずにいる。 先生はそれを奥さんに隠して死んだ。 先生は奥さんの幸福を破壊する前に、まず自分の生命を破壊してしまった。  私は今この悲劇について何事も語らない。 その悲劇のためにむしろ生れ出たともいえる二人の恋愛については、先刻いった通りであった。 二人とも私にはほとんど何も話してくれなかった。 奥さんは慎みのために、先生はまたそれ以上の深い理由のために。  ただ一つ私の記憶に残っている事がある。 或る時花時分に私は先生といっしょに上野へ行った。 そうしてそこで美しい一対の男女を見た。 彼らは睦まじそうに寄り添って花の下を歩いていた。 場所が場所なので、花よりもそちらを向いて眼を峙だてている人が沢山あった。 「新婚の夫婦のようだね」と先生がいった。 「仲が好さそうですね」と私が答えた。  先生は苦笑さえしなかった。 二人の男女を視線の外に置くような方角へ足を向けた。 それから私にこう聞いた。 「君は恋をした事がありますか」  私はないと答えた。 「恋をしたくはありませんか」  私は答えなかった。 「したくない事はないでしょう」 「ええ」 「君は今あの男と女を見て、冷評しましたね。 あの冷評のうちには君が恋を求めながら相手を得られないという不快の声が交っていましょう」 「そんな風に聞こえましたか」 「聞こえました。 恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです。 しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ。 解っていますか」  私は急に驚かされた。 何とも返事をしなかった。      十三  我々は群集の中にいた。 群集はいずれも嬉しそうな顔をしていた。 そこを通り抜けて、花も人も見えない森の中へ来るまでは、同じ問題を口にする機会がなかった。 「恋は罪悪ですか」と私がその時突然聞いた。 「罪悪です。 たしかに」と答えた時の先生の語気は前と同じように強かった。 「なぜですか」 「なぜだか今に解ります。 今にじゃない、もう解っているはずです。 あなたの心はとっくの昔からすでに恋で動いているじゃありませんか」  私は一応自分の胸の中を調べて見た。 けれどもそこは案外に空虚であった。 思いあたるようなものは何にもなかった。 「私の胸の中にこれという目的物は一つもありません。 私は先生に何も隠してはいないつもりです」 「目的物がないから動くのです。 あれば落ち付けるだろうと思って動きたくなるのです」 「今それほど動いちゃいません」 「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか」 「それはそうかも知れません。 しかしそれは恋とは違います」 「恋に上る楷段なんです。 異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」 「私には二つのものが全く性質を異にしているように思われます」 「いや同じです。 私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なのです。 それから、ある特別の事情があって、なおさらあなたに満足を与えられないでいるのです。 私は実際お気の毒に思っています。 あなたが私からよそへ動いて行くのは仕方がない。 私はむしろそれを希望しているのです。 しかし……」  私は変に悲しくなった。 「私が先生から離れて行くようにお思いになれば仕方がありませんが、私にそんな気の起った事はまだありません」  先生は私の言葉に耳を貸さなかった。 「しかし気を付けないといけない。 恋は罪悪なんだから。 私の所では満足が得られない代りに危険もないが、――君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか」  私は想像で知っていた。 しかし事実としては知らなかった。 いずれにしても先生のいう罪悪という意味は朦朧としてよく解らなかった。 その上私は少し不愉快になった。 「先生、罪悪という意味をもっと判然いって聞かして下さい。 それでなければこの問題をここで切り上げて下さい。 私自身に罪悪という意味が判然解るまで」 「悪い事をした。 私はあなたに真実を話している気でいた。 ところが実際は、あなたを焦慮していたのだ。 私は悪い事をした」  先生と私とは博物館の裏から鶯渓の方角に静かな歩調で歩いて行った。 垣の隙間から広い庭の一部に茂る熊笹が幽邃に見えた。 「君は私がなぜ毎月雑司ヶ谷の墓地に埋っている友人の墓へ参るのか知っていますか」  先生のこの問いは全く突然であった。 しかも先生は私がこの問いに対して答えられないという事もよく承知していた。 私はしばらく返事をしなかった。 すると先生は始めて気が付いたようにこういった。 「また悪い事をいった。 焦慮せるのが悪いと思って、説明しようとすると、その説明がまたあなたを焦慮せるような結果になる。 どうも仕方がない。 この問題はこれで止めましょう。 とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。 そうして神聖なものですよ」  私には先生の話がますます解らなくなった。 しかし先生はそれぎり恋を口にしなかった。      十四  年の若い私はややともすると一図になりやすかった。 少なくとも先生の眼にはそう映っていたらしい。 私には学校の講義よりも先生の談話の方が有益なのであった。 教授の意見よりも先生の思想の方が有難いのであった。 とどの詰まりをいえば、教壇に立って私を指導してくれる偉い人々よりもただ独りを守って多くを語らない先生の方が偉く見えたのであった。 「あんまり逆上ちゃいけません」と先生がいった。 「覚めた結果としてそう思うんです」と答えた時の私には充分の自信があった。 その自信を先生は肯がってくれなかった。 「あなたは熱に浮かされているのです。 熱がさめると厭になります。 私は今のあなたからそれほどに思われるのを、苦しく感じています。 しかしこれから先のあなたに起るべき変化を予想して見ると、なお苦しくなります」 「私はそれほど軽薄に思われているんですか。 それほど不信用なんですか」 「私はお気の毒に思うのです」 「気の毒だが信用されないとおっしゃるんですか」  先生は迷惑そうに庭の方を向いた。 その庭に、この間まで重そうな赤い強い色をぽたぽた点じていた椿の花はもう一つも見えなかった。 先生は座敷からこの椿の花をよく眺める癖があった。 「信用しないって、特にあなたを信用しないんじゃない。 人間全体を信用しないんです」  その時生垣の向うで金魚売りらしい声がした。 その外には何の聞こえるものもなかった。 大通りから二丁も深く折れ込んだ小路は存外静かであった。 家の中はいつもの通りひっそりしていた。 私は次の間に奥さんのいる事を知っていた。 黙って針仕事か何かしている奥さんの耳に私の話し声が聞こえるという事も知っていた。 しかし私は全くそれを忘れてしまった。 「じゃ奥さんも信用なさらないんですか」と先生に聞いた。  先生は少し不安な顔をした。 そうして直接の答えを避けた。 「私は私自身さえ信用していないのです。 つまり自分で自分が信用できないから、人も信用できないようになっているのです。 自分を呪うより外に仕方がないのです」 「そうむずかしく考えれば、誰だって確かなものはないでしょう」 「いや考えたんじゃない。 やったんです。 やった後で驚いたんです。 そうして非常に怖くなったんです」  私はもう少し先まで同じ道を辿って行きたかった。 すると襖の陰で「あなた、あなた」という奥さんの声が二度聞こえた。 先生は二度目に「何だい」といった。 奥さんは「ちょっと」と先生を次の間へ呼んだ。 二人の間にどんな用事が起ったのか、私には解らなかった。 それを想像する余裕を与えないほど早く先生はまた座敷へ帰って来た。 「とにかくあまり私を信用してはいけませんよ。 今に後悔するから。 そうして自分が欺かれた返報に、残酷な復讐をするようになるものだから」 「そりゃどういう意味ですか」 「かつてはその人の膝の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとするのです。 私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥けたいと思うのです。 私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。 自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」  私はこういう覚悟をもっている先生に対して、いうべき言葉を知らなかった。      十五  その後私は奥さんの顔を見るたびに気になった。 先生は奥さんに対しても始終こういう態度に出るのだろうか。 もしそうだとすれば、奥さんはそれで満足なのだろうか。  奥さんの様子は満足とも不満足とも極めようがなかった。 私はそれほど近く奥さんに接触する機会がなかったから。 それから奥さんは私に会うたびに尋常であったから。 最後に先生のいる席でなければ私と奥さんとは滅多に顔を合せなかったから。  私の疑惑はまだその上にもあった。 先生の人間に対するこの覚悟はどこから来るのだろうか。 ただ冷たい眼で自分を内省したり現代を観察したりした結果なのだろうか。 先生は坐って考える質の人であった。 先生の頭さえあれば、こういう態度は坐って世の中を考えていても自然と出て来るものだろうか。 私にはそうばかりとは思えなかった。 先生の覚悟は生きた覚悟らしかった。 火に焼けて冷却し切った石造家屋の輪廓とは違っていた。 私の眼に映ずる先生はたしかに思想家であった。 けれどもその思想家の纏め上げた主義の裏には、強い事実が織り込まれているらしかった。 自分と切り離された他人の事実でなくって、自分自身が痛切に味わった事実、血が熱くなったり脈が止まったりするほどの事実が、畳み込まれているらしかった。  これは私の胸で推測するがものはない。 先生自身すでにそうだと告白していた。 ただその告白が雲の峯のようであった。 私の頭の上に正体の知れない恐ろしいものを蔽い被せた。 そうしてなぜそれが恐ろしいか私にも解らなかった。 告白はぼうとしていた。 それでいて明らかに私の神経を震わせた。  私は先生のこの人生観の基点に、或る強烈な恋愛事件を仮定してみた。 (無論先生と奥さんとの間に起った)。 先生がかつて恋は罪悪だといった事から照らし合せて見ると、多少それが手掛りにもなった。 しかし先生は現に奥さんを愛していると私に告げた。 すると二人の恋からこんな厭世に近い覚悟が出ようはずがなかった。 「かつてはその人の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとする」といった先生の言葉は、現代一般の誰彼について用いられるべきで、先生と奥さんの間には当てはまらないもののようでもあった。  雑司ヶ谷にある誰だか分らない人の墓、――これも私の記憶に時々動いた。 私はそれが先生と深い縁故のある墓だという事を知っていた。 先生の生活に近づきつつありながら、近づく事のできない私は、先生の頭の中にある生命の断片として、その墓を私の頭の中にも受け入れた。 けれども私に取ってその墓は全く死んだものであった。 二人の間にある生命の扉を開ける鍵にはならなかった。 むしろ二人の間に立って、自由の往来を妨げる魔物のようであった。  そうこうしているうちに、私はまた奥さんと差し向いで話をしなければならない時機が来た。 その頃は日の詰って行くせわしない秋に、誰も注意を惹かれる肌寒の季節であった。 先生の附近で盗難に罹ったものが三、四日続いて出た。 盗難はいずれも宵の口であった。 大したものを持って行かれた家はほとんどなかったけれども、はいられた所では必ず何か取られた。 奥さんは気味をわるくした。 そこへ先生がある晩家を空けなければならない事情ができてきた。 先生と同郷の友人で地方の病院に奉職しているものが上京したため、先生は外の二、三名と共に、ある所でその友人に飯を食わせなければならなくなった。 先生は訳を話して、私に帰ってくる間までの留守番を頼んだ。 私はすぐ引き受けた。      十六  私の行ったのはまだ灯の点くか点かない暮れ方であったが、几帳面な先生はもう宅にいなかった。 「時間に後れると悪いって、つい今しがた出掛けました」といった奥さんは、私を先生の書斎へ案内した。  書斎には洋机と椅子の外に、沢山の書物が美しい背皮を並べて、硝子越に電燈の光で照らされていた。 奥さんは火鉢の前に敷いた座蒲団の上へ私を坐らせて、「ちっとそこいらにある本でも読んでいて下さい」と断って出て行った。 私はちょうど主人の帰りを待ち受ける客のような気がして済まなかった。 私は畏まったまま烟草を飲んでいた。 奥さんが茶の間で何か下女に話している声が聞こえた。 書斎は茶の間の縁側を突き当って折れ曲った角にあるので、棟の位置からいうと、座敷よりもかえって掛け離れた静かさを領していた。 ひとしきりで奥さんの話し声が已むと、後はしんとした。 私は泥棒を待ち受けるような心持で、凝としながら気をどこかに配った。  三十分ほどすると、奥さんがまた書斎の入口へ顔を出した。 「おや」といって、軽く驚いた時の眼を私に向けた。 そうして客に来た人のように鹿爪らしく控えている私をおかしそうに見た。 「それじゃ窮屈でしょう」 「いえ、窮屈じゃありません」 「でも退屈でしょう」 「いいえ。 泥棒が来るかと思って緊張しているから退屈でもありません」  奥さんは手に紅茶茶碗を持ったまま、笑いながらそこに立っていた。 「ここは隅っこだから番をするには好くありませんね」と私がいった。 「じゃ失礼ですがもっと真中へ出て来て頂戴。 ご退屈だろうと思って、お茶を入れて持って来たんですが、茶の間で宜しければあちらで上げますから」  私は奥さんの後に尾いて書斎を出た。 茶の間には綺麗な長火鉢に鉄瓶が鳴っていた。 私はそこで茶と菓子のご馳走になった。 奥さんは寝られないといけないといって、茶碗に手を触れなかった。 「先生はやっぱり時々こんな会へお出掛けになるんですか」 「いいえ滅多に出た事はありません。 近頃は段々人の顔を見るのが嫌いになるようです」  こういった奥さんの様子に、別段困ったものだという風も見えなかったので、私はつい大胆になった。 「それじゃ奥さんだけが例外なんですか」 「いいえ私も嫌われている一人なんです」 「そりゃ嘘です」と私がいった。 「奥さん自身嘘と知りながらそうおっしゃるんでしょう」 「なぜ」 「私にいわせると、奥さんが好きになったから世間が嫌いになるんですもの」 「あなたは学問をする方だけあって、なかなかお上手ね。 空っぽな理屈を使いこなす事が。 世の中が嫌いになったから、私までも嫌いになったんだともいわれるじゃありませんか。 それと同なじ理屈で」 「両方ともいわれる事はいわれますが、この場合は私の方が正しいのです」 「議論はいやよ。 よく男の方は議論だけなさるのね、面白そうに。 空の盃でよくああ飽きずに献酬ができると思いますわ」  奥さんの言葉は少し手痛かった。 しかしその言葉の耳障からいうと、決して猛烈なものではなかった。 自分に頭脳のある事を相手に認めさせて、そこに一種の誇りを見出すほどに奥さんは現代的でなかった。 奥さんはそれよりもっと底の方に沈んだ心を大事にしているらしく見えた。      十七  私はまだその後にいうべき事をもっていた。 けれども奥さんから徒らに議論を仕掛ける男のように取られては困ると思って遠慮した。 奥さんは飲み干した紅茶茶碗の底を覗いて黙っている私を外らさないように、「もう一杯上げましょうか」と聞いた。 私はすぐ茶碗を奥さんの手に渡した。 「いくつ? 一つ? 二ッつ?」  妙なもので角砂糖をつまみ上げた奥さんは、私の顔を見て、茶碗の中へ入れる砂糖の数を聞いた。 奥さんの態度は私に媚びるというほどではなかったけれども、先刻の強い言葉を力めて打ち消そうとする愛嬌に充ちていた。  私は黙って茶を飲んだ。 飲んでしまっても黙っていた。 「あなた大変黙り込んじまったのね」と奥さんがいった。 「何かいうとまた議論を仕掛けるなんて、叱り付けられそうですから」と私は答えた。 「まさか」と奥さんが再びいった。  二人はそれを緒口にまた話を始めた。 そうしてまた二人に共通な興味のある先生を問題にした。 「奥さん、先刻の続きをもう少しいわせて下さいませんか。 奥さんには空な理屈と聞こえるかも知れませんが、私はそんな上の空でいってる事じゃないんだから」 「じゃおっしゃい」 「今奥さんが急にいなくなったとしたら、先生は現在の通りで生きていられるでしょうか」 「そりゃ分らないわ、あなた。 そんな事、先生に聞いて見るより外に仕方がないじゃありませんか。 私の所へ持って来る問題じゃないわ」 「奥さん、私は真面目ですよ。 だから逃げちゃいけません。 正直に答えなくっちゃ」 「正直よ。 正直にいって私には分らないのよ」 「じゃ奥さんは先生をどのくらい愛していらっしゃるんですか。 これは先生に聞くよりむしろ奥さんに伺っていい質問ですから、あなたに伺います」 「何もそんな事を開き直って聞かなくっても好いじゃありませんか」 「真面目くさって聞くがものはない。 分り切ってるとおっしゃるんですか」 「まあそうよ」 「そのくらい先生に忠実なあなたが急にいなくなったら、先生はどうなるんでしょう。 世の中のどっちを向いても面白そうでない先生は、あなたが急にいなくなったら後でどうなるでしょう。 先生から見てじゃない。 あなたから見てですよ。 あなたから見て、先生は幸福になるでしょうか、不幸になるでしょうか」 「そりゃ私から見れば分っています。 (先生はそう思っていないかも知れませんが)。 先生は私を離れれば不幸になるだけです。 あるいは生きていられないかも知れませんよ。 そういうと、己惚になるようですが、私は今先生を人間としてできるだけ幸福にしているんだと信じていますわ。 どんな人があっても私ほど先生を幸福にできるものはないとまで思い込んでいますわ。 それだからこうして落ち付いていられるんです」 「その信念が先生の心に好く映るはずだと私は思いますが」 「それは別問題ですわ」 「やっぱり先生から嫌われているとおっしゃるんですか」 「私は嫌われてるとは思いません。 嫌われる訳がないんですもの。 しかし先生は世間が嫌いなんでしょう。 世間というより近頃では人間が嫌いになっているんでしょう。 だからその人間の一人として、私も好かれるはずがないじゃありませんか」  奥さんの嫌われているという意味がやっと私に呑み込めた。      十八  私は奥さんの理解力に感心した。 奥さんの態度が旧式の日本の女らしくないところも私の注意に一種の刺戟を与えた。 それで奥さんはその頃流行り始めたいわゆる新しい言葉などはほとんど使わなかった。  私は女というものに深い交際をした経験のない迂闊な青年であった。 男としての私は、異性に対する本能から、憧憬の目的物として常に女を夢みていた。 けれどもそれは懐かしい春の雲を眺めるような心持で、ただ漠然と夢みていたに過ぎなかった。 だから実際の女の前へ出ると、私の感情が突然変る事が時々あった。 私は自分の前に現われた女のために引き付けられる代りに、その場に臨んでかえって変な反撥力を感じた。 奥さんに対した私にはそんな気がまるで出なかった。 普通男女の間に横たわる思想の不平均という考えもほとんど起らなかった。 私は奥さんの女であるという事を忘れた。 私はただ誠実なる先生の批評家および同情家として奥さんを眺めた。 「奥さん、私がこの前なぜ先生が世間的にもっと活動なさらないのだろうといって、あなたに聞いた時に、あなたはおっしゃった事がありますね。 元はああじゃなかったんだって」 「ええいいました。 実際あんなじゃなかったんですもの」 「どんなだったんですか」 「あなたの希望なさるような、また私の希望するような頼もしい人だったんです」 「それがどうして急に変化なすったんですか」 「急にじゃありません、段々ああなって来たのよ」 「奥さんはその間始終先生といっしょにいらしったんでしょう」 「無論いましたわ。 夫婦ですもの」 「じゃ先生がそう変って行かれる源因がちゃんと解るべきはずですがね」 「それだから困るのよ。 あなたからそういわれると実に辛いんですが、私にはどう考えても、考えようがないんですもの。 私は今まで何遍あの人に、どうぞ打ち明けて下さいって頼んで見たか分りゃしません」 「先生は何とおっしゃるんですか」 「何にもいう事はない、何にも心配する事はない、おれはこういう性質になったんだからというだけで、取り合ってくれないんです」  私は黙っていた。 奥さんも言葉を途切らした。 下女部屋にいる下女はことりとも音をさせなかった。 私はまるで泥棒の事を忘れてしまった。 「あなたは私に責任があるんだと思ってやしませんか」と突然奥さんが聞いた。 「いいえ」と私が答えた。 「どうぞ隠さずにいって下さい。 そう思われるのは身を切られるより辛いんだから」と奥さんがまたいった。 「これでも私は先生のためにできるだけの事はしているつもりなんです」 「そりゃ先生もそう認めていられるんだから、大丈夫です。 ご安心なさい、私が保証します」  奥さんは火鉢の灰を掻き馴らした。 それから水注の水を鉄瓶に注した。 鉄瓶は忽ち鳴りを沈めた。 「私はとうとう辛防し切れなくなって、先生に聞きました。 私に悪い所があるなら遠慮なくいって下さい、改められる欠点なら改めるからって、すると先生は、お前に欠点なんかありゃしない、欠点はおれの方にあるだけだというんです。 そういわれると、私悲しくなって仕様がないんです、涙が出てなおの事自分の悪い所が聞きたくなるんです」  奥さんは眼の中に涙をいっぱい溜めた。      十九  始め私は理解のある女性として奥さんに対していた。 私がその気で話しているうちに、奥さんの様子が次第に変って来た。 奥さんは私の頭脳に訴える代りに、私の心臓を動かし始めた。 自分と夫の間には何の蟠まりもない、またないはずであるのに、やはり何かある。 それだのに眼を開けて見極めようとすると、やはり何にもない。 奥さんの苦にする要点はここにあった。  奥さんは最初世の中を見る先生の眼が厭世的だから、その結果として自分も嫌われているのだと断言した。 そう断言しておきながら、ちっともそこに落ち付いていられなかった。 底を割ると、かえってその逆を考えていた。 先生は自分を嫌う結果、とうとう世の中まで厭になったのだろうと推測していた。 けれどもどう骨を折っても、その推測を突き留めて事実とする事ができなかった。 先生の態度はどこまでも良人らしかった。 親切で優しかった。 疑いの塊りをその日その日の情合で包んで、そっと胸の奥にしまっておいた奥さんは、その晩その包みの中を私の前で開けて見せた。 「あなたどう思って?」と聞いた。 「私からああなったのか、それともあなたのいう人世観とか何とかいうものから、ああなったのか。 隠さずいって頂戴」  私は何も隠す気はなかった。 けれども私の知らないあるものがそこに存在しているとすれば、私の答えが何であろうと、それが奥さんを満足させるはずがなかった。 そうして私はそこに私の知らないあるものがあると信じていた。 「私には解りません」  奥さんは予期の外れた時に見る憐れな表情をその咄嗟に現わした。 私はすぐ私の言葉を継ぎ足した。 「しかし先生が奥さんを嫌っていらっしゃらない事だけは保証します。 私は先生自身の口から聞いた通りを奥さんに伝えるだけです。 先生は嘘を吐かない方でしょう」  奥さんは何とも答えなかった。 しばらくしてからこういった。 「実は私すこし思いあたる事があるんですけれども……」 「先生がああいう風になった源因についてですか」 「ええ。 もしそれが源因だとすれば、私の責任だけはなくなるんだから、それだけでも私大変楽になれるんですが、……」 「どんな事ですか」  奥さんはいい渋って膝の上に置いた自分の手を眺めていた。 「あなた判断して下すって。 いうから」 「私にできる判断ならやります」 「みんなはいえないのよ。 みんないうと叱られるから。 叱られないところだけよ」  私は緊張して唾液を呑み込んだ。 「先生がまだ大学にいる時分、大変仲の好いお友達が一人あったのよ。 その方がちょうど卒業する少し前に死んだんです。 急に死んだんです」  奥さんは私の耳に私語くような小さな声で、「実は変死したんです」といった。 それは「どうして」と聞き返さずにはいられないようないい方であった。 「それっ切りしかいえないのよ。 けれどもその事があってから後なんです。 先生の性質が段々変って来たのは。 なぜその方が死んだのか、私には解らないの。 先生にもおそらく解っていないでしょう。 けれどもそれから先生が変って来たと思えば、そう思われない事もないのよ」 「その人の墓ですか、雑司ヶ谷にあるのは」 「それもいわない事になってるからいいません。 しかし人間は親友を一人亡くしただけで、そんなに変化できるものでしょうか。 私はそれが知りたくって堪らないんです。 だからそこを一つあなたに判断して頂きたいと思うの」  私の判断はむしろ否定の方に傾いていた。 底本:「こころ」集英社文庫、集英社    1991(平成3)年2月25日第1刷    1995(平成7)年6月14日第10刷 初出:「朝日新聞」    1914(大正3)年4月20日〜8月11日 ※誤植の修正は「漱石全集」岩波書店を参照しました。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:j.utiyama 校正:伊藤時也 1999年7月31日公開 2004年2月6日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。 入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。